宇宙よりも遠い場所 MADHOUSE 2018 |
監督:いしづかあつこ |
原作:よりもい シリーズ構成・脚本:花田十輝 音楽:藤澤慶昌 キャラクターデザイン・総作画監督:吉松孝博 キャスト:水瀬いのり・花澤香菜・井口裕香・早見沙織・能登麻美子 OPテーマ:The Girls Are Alright!/saya EDテーマ:ここから、ここから/玉木マリ(水瀬いのり)、小淵沢報瀬(花澤香菜)、三宅日向(井口裕香)、白石結月(早見沙織) |
世の中にアニメ作品は数多あれど、「誰かにおすすめしたい!」とまで思わせてくれる作品は実はそんなに多くなかったりします。
でも、本作『宇宙よりも遠い場所』は違います。厳選された「オレのおすすめリスト」に、間違いなく載ってくる作品です。
まだ見ていないという方。すぐに見てください。
2018年の作品なので、ほとんどのサブスクで既に見放題になっているはずです。この記事を読むのは後回しでいいですから、すぐに契約中のサブスクを検索してください。
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「その前に、どんな作品なのか教えてくれよ!」という方。
『宇宙よりも遠い場所』をひと言で語るなら、「南極を目指す過程で育まれる四人の女子高校生、
- 玉木マリ(キマリ)
- 小淵沢報瀬
- 三宅日向
- 白石結月
の美しい友情物語」ということになります。
厳密には、このうちの一人は高校生ではありません。高校年代ではあるものの、高校には通っていないのですね。
その理由についても作品の中で詳しく描かれているのですが、このエピソードもまた四人の深い友情を感じさせ、胸にぐっと迫るものになっています。非常に良いので、まだ見ていないという方、繰り返しになりますが、ぜひ作品を最後までご覧になってみてください。
1クール全13話なので、まったく長くないです。すぐに見終わります。
また、「美しい友情」以外にも、本作はいくつかの要素が重ね合わされた物語となっています。
その中でも、次の三つが特に印象的でした。
- 二重、もしくは三重の便乗構造
- 子どもと大人のチャレンジの違い
- 母の死を確認するための旅であること
「友情」部分は作品を見ればわかりますので、本記事ではこっちの方を書いていこうと思います。
二重、もしくは三重の便乗構造
さて、作品の方は最後までご覧いただけたでしょうか?
まだ、という方。基本的には、この先もネタバレになるようなことは書かないつもりですが、どうしても避けられない部分は出てきてしまうと思います。「一切情報を入れない、真っ白な姿で作品を見たい」という方は先に本編の方を見てきてください。
では行きましょう。
まず最初に取り上げるのは、二重、もしくは三重の便乗構造です。
「便乗」は、『宇宙よりも遠い場所』に見られる構造の一つです。親亀の上に乗る子亀のように、誰かの立ち上げた計画に乗っかるのが、ここでいうところの便乗です。
この構造を最もよく利用しているのが、主人公の玉木マリ(キマリ)と三宅日向です。この2人がやっているのは二重の便乗で、ポジションでいうと子亀の上にさらに乗る孫亀ということになります。
最初の便乗先は報瀬
キマリと日向の最初の便乗先は、小淵沢報瀬です。
孫亀である2人にとって、子亀に当たる相手が報瀬ということになります。
「南極行き」は、元々は報瀬の目的です。報瀬には「3年前、行方不明になった母に会う」という確固とした動機があり、そのために南極に行かなければなりません。
でも、キマリと日向はそうではない。彼女たちが求めているのは、「高校生のうちに、何か特別なことをしておきたい」であって、「南極へ行くこと」ではないのですね。
極端な話、「特別なこと」が「南極行き」でなかったとしても、構わないわけです。
それでも2人が南極を目指すことになったのは、近くに報瀬がいたからです。
「何かしたいけど、することが見つかっていない」キマリと日向にとって、明確な目的をもって「特別なこと」をしようとしている報瀬は、絶好の便乗先だった、というわけですね。
実際には、2人が南極を目指す姿は報瀬に劣らず本気であり、「便乗」という言葉が孕む負のイメージは画面からは感じられません。
ただ構造にだけ目を向けると、キマリと日向が報瀬に便乗していることは、紛れもない事実だったと思います。
2つ目の便乗先は「南極チャレンジ」
キマリと日向の2つ目の便乗先は、民間南極観測隊「南極チャレンジ」です。
この便乗には、キマリと日向だけでなく、報瀬も含まれます。
「キマリたちは隊員として参加し、仕事も割り振られているのだから、便乗ではないのでは?」と思われた方もいるかもしれません。
でも、キマリ、日向、報瀬の3人って、不可欠のメンバーではないんですよね。
「南極チャレンジ」自体は藤堂吟や前川かなえといった大人たちが準備したものですし、参加も結月のバーター枠ですから、これはやはり便乗と呼ぶべきなんだろうと思います。
「亀の三段重ね」の構造でいうと、
- 親亀:南極チャレンジ
- 子亀:報瀬
- 孫亀:キマリと日向
ということになり、キマリと日向に着目すると、見事な二重の便乗が現れているのが、おわかりいただけると思います。
一人だけ便乗していない結月
四人の女子高校生(一人は高校生ではない)のうち、キマリ、日向、報瀬の3人の便乗は確認できました。
残った一人、白石結月はどうなのか。
結論から言うと、彼女は便乗ではありません。他の3人と違って、結月は仕事として参加しているからです。仕事の依頼を受けて、それに応じての参加なので、便乗とは呼べないでしょう。
依頼元からは「南極チャレンジ」への資金援助も発生しているようなので、スポンサー枠とでも呼べばいいでしょうか。そう考えると、結月は「南極チャレンジ」にとって必須の存在と言ってもよさそうです。
便乗という観点で見るなら、結月は「している方」ではなくむしろ「されている方」に当たると思います。
先ほども書きましたが、キマリ、日向、報瀬が「南極チャレンジ」に参加できているのは、結月のバーター枠ですからね。
この部分も考慮に加えるなら、報瀬は二重、キマリと日向は三重の便乗をしていることになります。
子どもと大人のチャレンジの違い
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「女子高校生、南極へ行く」
どこかの映画のタイトルにでもなりそうなこのキャッチーなフレーズ、でも女子に限らずどこかの高校生が不意に「南極に行く!」とか言い出したら、「無理だよ」と脊髄反射で言ってしまいそうな気がします。
『宇宙よりも遠い場所』で、報瀬を否定した人たちのように。
報瀬には、そんなこと言う人間は全員敵に見えたでしょう。でもこれ、反応としては常識的なものではあるんですよね。
「高校生が南極になんて、行けるわけがない」
報瀬やキマリたちのやろうとしていることは凝り固まった常識への反逆です。「不可能への挑戦」と言ってもいいかもしれません。
そうした挑戦は、誰にでもできるわけではありません。そのため我々は、胸に密かな羨望を秘めてその姿を眺めるわけですが、本作『宇宙よりも遠い場所』においてこのような「チャレンジ」をしている人たちは、実は報瀬たち以外にもいます。
それが、藤堂吟を隊長とする民間南極観測隊「南極チャレンジ」の大人たちです。
報瀬たちと相似を成す「南極チャレンジ」
報瀬の母・小淵沢貴子が行方不明になった3年前の南極観測の影響もあって、吟たちの活動は、あまり周囲の支持が得られていません。資金集めが難航している様子が描かれていますし、実施は難しいのではないか、というネット記事が出たりもします。
「南極チャレンジ」は、文字通りの挑戦なのですね。
それに挑む人たち、隊長の吟や副隊長の前川かなえ、料理長の鮫島弓子といった大人たちを支えているのは、南極への情熱です。
彼女たちもまた、報瀬と同じように「何があっても、絶対に南極に行く」という強い意志を見せてくれるのですね。
周囲の支持が得られなくても、自分たちの情熱を頼りに目的に向かって突き進む。
ここで気が付くのが、「南極チャレンジ」も、置かれている状況やそれに抗う態度は報瀬たちと同じであるという点です。
実はよく見ると、「南極チャレンジ」と報瀬たちは相似をなしているんですよね。
類似、ではなく相似です。というのも、「南極チャレンジ」と報瀬たちでは大きな違いがあるからです。
「南極チャレンジ」と報瀬たちとの違い
南極への情熱を実現するために報瀬たちがやったのは、既にある「船」に便乗することでした。
どうやって、船に乗せてもらうか。それが彼女たちのチャレンジだったわけですね。
しかし、「南極チャレンジ」の大人たちが同じことをするわけにはいきません。何故なら、報瀬たちが便乗するその「船」を作り出したのが、彼女たち自身だったからです。
南極へ行く「船」を、自分たちの手で作り出すこと。それが、吟やかなえたちのチャレンジでした。
「既に船にどうやって乗るか」と「自分たちの手で船を作り出す」のとでは、天と地ほどの違いがあります。だからこそ、報瀬たちと「南極チャレンジ」は、類似ではなく相似なのです。
形は似ていても、スケールがまったく違うのですね。
当然、新しく「船」を作り出す方がスケールは大きく、それだけ困難も多くなります。でも、それを受け止め、乗り越えることができてしまうのが大人なんですよね。
両者の違いは、子どもと大人のチャレンジの違いと言っていいものだったと思います。
これが描かれていることで、『宇宙よりも遠い場所』という作品はより重層的なものになっていました。
母の死を確認するための旅
冒頭でも書いた通り、『宇宙よりも遠い場所』は、キマリたち四人が南極を目指す過程を通じて友情を育んでいく物語です。
しかし、それだけでは終わりません。彼女たちの旅には、常に暗い影が付きまとっているからです。
それが、報瀬の母・小淵沢貴子の死です。
「友だち」や「友情」を描いたエピソードがどれもすばらしいので忘れそうになるのですが、キマリたちが便乗した報瀬の旅は、本来は彼女が母の死を確かめるためのものです。
「母の死を確かめる」
残酷な言葉です。報瀬自身は「お母さんに会いに行く」と言っていますが、意味は同じです。3年前に南極で行方不明になった人間が生存している可能性は、まずないですからね。
ただ、この残酷さ、本作のように美しい友情を描いた物語には不似合いにも感じられました。真っ白なシーツに落ちた、一点の黒い染みのようにも見えてしまったんですよね。
報瀬を一人にしない
でも多分、それは違ったのだろうと思います。
『宇宙よりも遠い場所』で描かれている南極への旅は、あくまで報瀬のものです。報瀬が行方不明になった母に会いに行くためのものであり、母の死を受け入れるためのものでもあります。
先に存在していたのが「母の死を確かめる旅」で、そこに「友情」が付け加えられることになった。これが、本作で描かれた旅の本当の姿なんですよね。
本来の「残酷な旅」に「友情」が加わったのは、報瀬を一人にしないためなんだろうと思います。
報瀬は、自分でも口にしているようにずっと一人でした。キマリと知り合う以前に友だちはなく、不可能をしか思えない南極行きを公言して譲らないことから、彼女を知る人たちからは陰で「南極」と呼ばれて馬鹿にされていました。
家族についての詳しい描写はないですが、断片的に知りえる情報から推測すると、母・貴子が行方不明になった後は祖母しかいなかったようです。
そんな報瀬がたった一人で南極に行き、母の死という現実と向き合わなければならないのだとしたら。
あまりに辛過ぎますし、悲し過ぎます。
そうさせないための「美しい友情」だったのではないか、と思うんですよね。
実際には、報瀬は一人ではありませんでした。南極に向かう過程で育んだキマリたちとの友情はかけがえのないものとなっていましたし、支えられるばかりではなく、支えることもできる関係でもありました。
終盤、どうしようもない現実を目にして、母の死が急速に重みを伴って報瀬の心にのしかかってくる場面でも、キマリ、日向、結月の3人はしっかりと寄り添ってくれていました。
『宇宙よりも遠い場所』まとめ
色々書いてきましたが、『宇宙よりも遠い場所』の一番の魅力はやはりキマリ・報瀬・日向・結月が育む友情だと思います。
これについては説明不要で、見ればわかります。ここまで読んでまだ見ていないという方。今からでも遅くはありません。
どのサブスクでも結構ですので、ぜひ一度ご覧になってみてください!