『無限のリヴァイアス』感想・レビュー|鬱々としていて、もどかしいけど「見せる」物語

無限のリヴァイアス
サンライズ 1999
監督:谷口悟朗
シリーズ構成:黒田洋介
キャラクターデザイン:平井久司

メカニックデザイン:山根公利
音楽:服部克久・M.I.D
キャスト:白鳥哲・保志総一朗・関智一・桑島法子・丹下桜

私が谷口悟朗監督と脚本家の黒田洋介を知ったのが、この『無限のリヴァイアス』でした。

初めて見たときの衝撃は、忘れられません。「ここまでやる?」と言いたくなるくらい、鬱々とした作品だったからです。テレビ東京での本放送時は水曜18時枠だったのですが、夕方よりも深夜の方がふさわしいように思えました。

ただ、当然ながら暗い作品=おもしろくない作品ではありません

本作は、おもしろいです。決して明るいところはないし、なかなか希望を見出せない展開が続きますが、それでも先が気になって見てしまう。初めて見たときがそうでしたし、二度目に見たときも同じでした。

「見せる作品」といってもいいのかもしれません。

本作から感じた衝撃には、「ただただ暗い」というばかりでなく、「こんなに暗いのに、こんなに見てしまう作品を作れるのか!」という部分もありました。

谷口悟朗、黒田洋介の名前がスタッフにある作品に特別な注意が向くようになったのも、この『無限のリヴァイアス』がきっかけです(『スクライド』も、この二人の作品です)。

20年以上前の作品なので、映像面で多少の古さを感じるかことはあるもしれません。それでも、まだ見たことのない人には、ぜひ一度見てほしい作品の一つですね。

『無限のリヴァイアス』概要

無限のリヴァイアス』の時代設定は、西暦2225年。

この時代の太陽系は、太陽フレアによる異常現象「ゲドゥルト・フェノメーン」によってほぼ全域がゲドゥルトに覆われています。

ゲドゥルト内は高温、高圧、宇宙線やプラズマの飛び交う死の世界である。常に異常重力が発生しており、深く航行すると通常の物体は押しつぶされてしまう。

引用元:「無限のリヴァイアス」公式HP

非常に危険な領域、ということですね。

「リヴァイアス」に取り残される少年少女たち

無限のリヴァイアス』の主人公は、16歳の少年相葉昂治です。

昂治は航宙士の資格を取るために、養成所である「リーベ・デルタ」に来ていました。ところが、リーベ・デルタは突然何者かの襲撃を受けて制御を失い、ゲドゥルトの海に沈みかけてしまいます。

そんなとき、リーベ・デルタ内に隠されていた外洋型航宙可潜艦「リヴァイアス」が起動。昂治たち学生は、リヴァイアスに避難することで危機を乗り越えますが、大人である教官は全員が殉職。

残された487人の少年少女たちは、救助を求めて宇宙に出ていくことになります。

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「内側の問題」に重心が置かれる

救助は来ない

リヴァイアスに避難した学生たちは、遭難者です。救助されてしかるべきだし、彼ら自身もそう思っています。

しかし、救助は来ません。それどころか、リヴァイアスは攻撃を受けてしまいます。

このあたりは大人の事情が絡んでいて、そこもまた本作を引っ張る物語上の謎になっているのですが、リヴァイアスの学生たちは当然、そんなことは知りません。

わけのわからないまま、それでもとにかく生き延びるために、自力での対応を迫られることになる昂治たち。

ただ、487人という大人数ということもあって、これがそう簡単にはいきません。

外からの攻撃に対処しなければならない、というばかりではなく、内部にも様々な問題が生じていくことになります。

「外」の問題はそれほど深刻にはならない

誰が、何のために遭難者である自分たちを攻撃してくるのか。

理由も目的もわからないまま、とにかく戦うリヴァイアスの学生たちですが、実際のところ外部からの攻撃は、ほとんどの場合それほど深刻な問題にはなりません。

というのも、リヴァイアスは極めて能力が高い艦だからです。

そのため専門的な軍事訓練を受けたわけではない学生たちによる操艦であっても、既存の兵器が相手なら問題なく対応できてしまいます。

外から受ける攻撃は、(少なくとも、ある段階までにおいては)リヴァイアスにとってそれほど大きな脅威にはならないのですね。

心理的な負担も大きくはない

リヴァイアスの戦いが、降りかかる火の粉を払うためのものであった、というのもあります。

自分たちが生き延びるためには、戦って、襲ってくる相手を撃退するしかない。この点については全員が一致しているのですね。そのため、戦うことに対して大きな意見の対立や混乱は生じないですし、深刻な問題も起きません。

戦闘によって、相手の生命を奪うことに抵抗を覚える者はいます。しかしそれも、「正当防衛」という言葉で消化が可能なのですね。

「外」の問題は重要でない、とまでは言いません。しかしある段階までは、そこまで深刻なものにはならないということも事実です。

より深く描かれるのは「内」の問題

一方で、「内」の問題はそう簡単ではありません。

長期に渡る閉鎖環境での生活がエスカレートさせるこちらの問題は、非常に重く、陰惨でもあります。そしてそれは、主要登場人物たちも例外ではありません。

そうなってしまう大きな理由の一つが、リヴァイアスが487人という大所帯である、という点です。それだけの人数が集まれば様々な思惑が入り乱れることになりますし、「数」が力を持つようにもなります。

「危機の中にいる」という状況は、全員に共通しています。487人の学生たちは、言わば運命共同体なわけですが、決して一枚岩ではなく、「一致団結してこの状況を乗り切ろう」とはならないのですね。

外からの攻撃に対処できてしまっている、というのも、そうした状況の一因になっているでしょう。遭難しているのに妙な話ですが、ある種の余裕が生まれてしまうのです。

そのため、勝手なことをする人間たちが出現するようになります。

「統治」される側の不満

「内」の問題として特に光が当たるのが、「統治」の問題です。

リヴァイアスに避難した487人の学生は、全員がフラットな状態というわけにはいきません。生き延びるためには秩序が必要となります。

そうなると生じるのが、立場の違いです。「統治する側」と「統治される側」に分かれるのですね。

この点は、現実の社会と同じです。『無限のリヴァイアス』に社会の縮図を見る人も少なくないのですが、その基礎となっているのがこの部分と言ってもいいでしょう。

立場の違いが生じることで、当然軋轢も生まれてきます。「統治する側」は全体や先のことを考えて制限を設けようとし、統治される側はそれに不満を募らせていく。

期間が短ければ、それも大きな問題とはなりません。しかしながらリヴァイアスでの避難生活は数ヶ月に及びますから、不満は膨らみ、様々な形で表出していくことになります。

それは、仲間内で愚痴を言い合うといった程度のマイルドなものばかりではありません。集団での暴力やリンチ、恐喝、陰湿な嫌がらせ、果ては女子学生に対する集団暴行まで発生します。

直接的な描写こそないものの、主要登場人物がターゲットとなるようなものも発生するため刺激は強めです。

ただそこうした暗い部分も避けずに取り上げているところは『無限のリヴァイアス』という作品の大きな特徴でもあると言えます。

「統治する側」の苦労

「統治」を担う側の問題の一つは、その苦労が「統治される側」に伝わらないことです。

487人という大所帯に秩序をもたらすためには、それなりの苦労が伴います。リヴァイアスでの生活は突然始まったものであり、当初は秩序も何も存在しないわけですから、ゼロからルールを作っていく必要があります。

そうした役割を担ったのが、最初にリヴァイアスを「統治する側」になるツヴァイの面々です。

ツヴァイとはリーベ・デルタにおける一種のエリートのことで、一般の訓練生より高い技術を持っています。学生たちだけでリヴァイアスの航行が可能なのも彼らの能力があればこそで、遭難直後、彼らが「統治する側」になったのも自然な成り行きと言えます。

12人いるツヴァイのメンバーたちは、487人の避難生活が円滑に行われるように心を砕き、それが初期のリヴァイアスに一定の秩序をもたらしもします。しかし、そうした彼らの努力や苦労は、一般の学生たちにはなかなか伝わりません。「特権的な立場を利用して、自分たちだけが得をしている」と思われてしまうことさえあります。

ここもまた、現実の社会と同じですね。大衆は、自分では何もしないくせに、不満ばかりを口にする。

この点については『無限のリヴァイアス』も意識的であり、作品の中でも、主人公相葉昂治の弟・祐希が強い言葉でそのことに言及する印象的な場面があります。

政権交代が発生する

ここも一つ『無限のリヴァイアス』という作品のおもしろいところなのですが、リヴァイアスの「統治」を担当するグループはずっと同じではありません。

政権交代が発生します。

当然ながら、それによって統治の方法にも変化がもたらされます。ただ、どんな手法も完全とはいかないのですね。

新たな仕組みを導入したり、暴力や強制によって秩序を保とうとしてみたりもしますが、どこかに必ず歪みが生まれて、それが不満となって現れてきてしまいます。

ただ、これもリヴァイアスに限った話ではないですよね。実社会でも、同じです。

「理想的な統治の方法」というものは、存在しません。どんな方法にも歪みは含まれますし、それはある意味「人間社会の不完全さ」と言ってしまってもいいのかもしれません。

そうした側面も読み取れるのが、『無限のリヴァイアス』です。

主人公・相葉昂治の鬱屈

内向きの傾向が強い『無限のリヴァイアス』ですが、それは主人公・相葉昂治についても同じです。

昂治は鬱屈を抱えたキャラクターです。「こうじゃない」「これじゃだめなんだ」という思いが強く、現状に納得はしていません。

ただ、それは野心とか向上心の強さが現れたものではないのですね。彼の根底にあるのは、真面目さです。

昂治の頭には、おそらく「あるべき姿」みたいなものが存在しています。それに近づくことを目指すべきだし、それと重なることが理想だと考えている。

ですが彼は、そうした思いを行動につなげることができていません。

また、理想を貫くだけの覚悟も気概もありません。そのため不本意と感じつつも、周りに流されてしまっているのが現実です。

強く感じられるもどかしさ

ただ、昂治は決して、そうした自分を受け入れてはいません。「こうじゃないんだ、俺は違うんだ」という思いを常に抱えている。

それでいて、周囲にそれを納得させるだけの実力があるわけでもないのが、相葉昂治というキャラクターの哀しいところでもあります。

彼の身近には弟の祐希や実習パートナーの尾瀬イクミのように、ツヴァイを始めとする「統治する側」の人間たちに一目置かれ、リヴァイアス内でも重要な役割を任される能力の高い人物が存在します。

でも昂治は、そうではありません。能力は平均的で、特別なことができるわけではない。そのため力で周りを引っ張りながら、自分の理想を実現していく、というようなこともできないのですね。

「こうじゃない」という思いを抱えながらも、「じゃあ、どうすればいいのか」はわからず、またそうした思いを行動に移せるほどの力もない。そのため「仕方ないじゃないか」という言葉で、周りに迎合するしかない。

そんなもどかしさが、昂治にはあります。

弟・祐希との関係

無限のリヴァイアス』という作品を語る上で避けて通れないのが、相葉兄弟の仲の悪さです。

特に昂治の弟・祐希は、その一挙手一投足に苛立ちを覚えるくらいに兄を嫌悪しています。

二人の不仲の理由は、はっきりとは示されません。ただ、断片的に挿入される過去の場面や、二人の幼馴染である蓬仙あおいの言葉などから、昂治が父親代わりを失敗したことに原因がありそうだ、と想像できます。

裏目に出た「真面目さ」

相葉兄弟は幼い頃に両親が離婚しており、母親に育てられています。そのため幼い頃は、どうやら昂治が祐希の父親代わりをやっていた(やろうとしていた)ようなんですよね。

昂治と祐希は一つしか年の違わない兄弟ですから、父親代わりなんてできるわけないと思うのですが、そこは昂治の真面目さが発揮されたんだろうと思います。

「本当の父親がいないのだから、自分が父親役をやるしかない」と気負ったのかもしれません。

しかし哀しいかな、既に紹介した通り、平均的な能力しか備えていない兄・昂治に対して、弟・祐希は非常に優秀です。

そのため、あっさり祐希に凌駕されてしまうのですね。

情けないお兄ちゃん

実際の親子関係なら、息子が父親を超えていくのは喜ばしいことと言えるでしょう。体力的な部分だけを取り上げるなら、そうなるのは当然とも言えます。

しかし、昂治と祐希は兄弟です。当然、親子と同じというわけにはいきません。

しかも悲惨なことに、昂治は、直接対決で祐希に叩きのめされてしまっているのですね。ここまでの事態は、父と子の関係でもあまり発生しないかもしれません。

昂治は、ひと言で言ってしまえば「情けないお兄ちゃん」なのですね。それなのに、優秀な弟に対して父親ぶったふるまいをしてしまったことが惨めさを大きくしています。

昂治は決して、悪いことをしたわけではないんですけどね。彼は彼なりに年長者の役割を果たそうとしただけなんだと思います。

ただ哀しいことに、力が及ばなかった。そしてそれが、祐希との関係を複雑なものにしてしまいました。

この事実は、昂治の抱える鬱屈の要因の一つになってしまいます。

祐希の苛立ち

昂治の理想とする姿は、おそらくは「背中を追いかけたくなるような立派な兄」だったのでしょう。

そしてそれは、祐希にも共通していたのだと思います。だからこそ、そうはならなかったことに苛立ちを覚えているように見えよね。

兄である昂治は、乗り越えがたい壁でなければならないのに、そうはなってくれなかった。いとも簡単に乗り越えられてしまったことに、戸惑いを覚えている部分もあるのかもしれません。

それが昂治に対して辛く当たる、という形で表れているようにも思えます。

そういう意味では、二人はやはり似た部分があったのかもしれません。

そしてまた、昂治がこの鬱屈とどう向き合い、どのように昇華していくのかが『無限のリヴァイアス』という作品の見どころでもあります。

個性の強い登場人物たち

相葉兄弟以外にも、『無限のリヴァイアス』には個性豊かなキャラクターが多く登場します。

昂治を上回る鬱屈を抱えている者や、エキセントリックな言動を取る者、陰謀めいたことを企む者などその内容は様々ですが、全員がリヴァイアスでの生活を強いられるというところは同じです。

長期に渡る閉鎖環境での暮らしですから、疲労や精神的な限界もあり、次第に一人一人の負の部分が表に出てくるようにもなります。

それが本作における陰惨な部分にもつながるのですが、一方で、暗さに飲み込まれない、救いとなるようなキャラクターもいます。

ルクスンのたくましさ

一人は、ルクスン・北条です。彼はツヴァイの一員なのですが、「なぜツヴァイなのか」と不思議に思うほど能力は低く、家が名門であることばかりを口にしている無能なボンボンの典型のような存在です。

役立たずであることは他のツヴァイの全員が知っているため、ルクスンは早い段階でリヴァイアスのブリッジからは追い出されてしまいます。

その後は子守や雑用といった、「ツヴァイらしからぬ」仕事をすることになるのですが、ルクスンはそれで腐るようなことはありません。

不満を口にしながらも、与えられた作業には真面目に取り組みます。仕事を放棄したりはしないのですね。その姿には滑稽さとともに、たくましさみたいなものも感じられます。

元「統治する側」として、一部の一般生徒から酷い暴行を受けることもあるのですが、彼は落ち込みません。深くものを考えない(考えられない?)せいもあるのでしょうが、物語が進むにつれて、自分の情けなさを笑い飛ばしてしまえるようなタフさを見せてくれるようにもなります。

初めのころは、ただのいけ好かないキャラクターとしか思えないルクスンなのですが、暗い淵に引きずり込まれてしまう登場人物たちが多い中で、へこたれない彼のたくましさと明るさは一つの救いになっています。

リヴァイアスの良心・ユイリィ

ルクスンとは毛色が違いますが、ユイリィ・バハナも救いを感じさせるキャラクターの一人だったと思います。

ルクスンとは対称的に、彼女はツヴァイの首席です。能力はもちろん高く、その上容姿端麗でもあるのですね。性格も穏やかで優しい。他のツヴァイから内心馬鹿にされていたルクスンに対しても、決して否定的な態度は取りません。

非の打ち所がない優等生と言ってよく、服装のセンスがひどいのもご愛嬌とすら思えます。

そんな彼女がリヴァイアスでリーダーの役割を求められるのは、必然と言っていいでしょう。

有事のリーダーとしては物足りない

ただ、実際には、有事の指導者としてのユイリィには物足りなさがありました。

真面目で相手を思いやる心が強いために、艦内を統制するために必要な厳しさや必要悪を受け入れられなかったりするからです。

もっとも、ユイリィ本人もリーダーを望んでいたわけではないんですよね。周りに担ぎ上げられて、仕方なくやっていただけです。

それでもユイリィに救いを感じるのは、彼女が「統治する側」にいる人間たちの中でも、特に良心的な存在と思えるからです。

無限のリヴァイアス』では、既にご紹介した通り何度か政権交代が発生します。

それはつまり、「リヴァイアスの実権を握りたい」とか「リヴァイアスを自分の思うように統治したい」という野心を持った人物が存在することの証明でもあります。

そして彼らの中には、自分の望みを達成するために厳しい統制を敷くことや、強権的な手法を用いることを厭わないものもいるのですね。

そうした過激な手法に振れそうなときに、反対するのがユイリィです。

「統治する側」の都合に振り回されがちな話の中で、彼女の主張は「統治される側」の気持ちに寄り添ったものが多いです。そのため、非常に良心的な印象を受けるのですね。

実は昂治も似たような考え方をしてはいるのですが、昂治とユイリィとでは発言力が違います。ユイリィの方が言葉に重みがあり、そのため彼女がこうした「バランスをとる役」を担っているようにも思えます。

ルクスンと違って、ユイリィの場合は重圧や苦悩を抱えている部分もあり、明るさが目立つキャラクターというわけではありません。

それでも他のキャラクターほど暗く落ち込むことはなく、良心的で、ルクスンとはまた違った意味での救いになっているように感じられました。

『無限のリヴァイアス』のOP、ED

無限のリヴァイアス』は、OPとEDも印象的です。

  • OP:「dis-」
  • ED:「夢を過ぎても」

歌は、どちらも『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』の第二期EDテーマ「Life Goes On」の有坂美香です。

タイトル無限のリヴァイアス
放送1999年10月6日-2000年3月29日
放送局テレビ東京系列
話数全26話
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この記事を書いた人

アニメとサッカーを見るのが好き。
累計視聴数は400本を超えていて、今も増え続けています。

作品を見て、感じたこと、考えたことを書いています。