『シドニアの騎士』感想・レビュー|遠い未来を豊かな想像力で描いたSFであり、心揺さぶられる「純愛もの」でもある良作

シドニアの騎士
ポリゴン・ピクチュアズ 2014・2015・2021
監督:静野孔文・瀬下寛之・吉平 “Tady” 直弘
シリーズ構成:村井さだゆき
キャラクターデザイン:森山佑樹
音楽:朝倉紀行
キャスト:逢坂良太・洲崎 綾・豊崎愛生・金元寿子・櫻井孝宏

まず、何と言っても原作が良いです。

弐瓶勉が『月刊アフタヌーン』に連載していた同名漫画で、2016年には優れたSF作品に贈られる星雲賞も受賞しています。

本作の何がおもしろいって、1000年以上も未来の、「シドニア」という巨大な宇宙船で旅をしながら生きることを余儀なくされた人類の姿が、作者の豊かな想像力によって描き出されているところです。

物語の軸となっているのは、「寄居子(ガウナ)」という対話不能な未知の脅威との戦い

でももちろん、戦いの場面ばかりというわけではありません。シドニアで暮らす人々の日常も描かれています。

この日常の部分が、とても良いのですね。主人公谷風長道の性格も関係して、そこはかとない「ゆるさ」が漂っています。

ガウナは非常に強力・強大な存在で、人間など簡単にひねりつぶせる力を備えています。そのため、ガウナとの戦いはいつも命がけ。いつ、誰が死んでもおかしくないですし、シドニアごと葬られてしまいそうな危機的状況も頻繁に発生します。

シドニアの船員たちは、非常に緊迫した状況に置かれていると言っていいでしょう。

それにも関わらず、シドニアの日常にはゆるさがあるのですね。この緊張と緩和のコントラストは、『シドニアの騎士』という作品に独特の雰囲気を生み出しています。そしてそれが、本作の大きな魅力にもなっている。

この雰囲気は、原作の方がより強く感じられると思います。

ですので、アニメで『シドニアの騎士』を知った人には、原作も読んでみることをおすすめします。基本的なストーリーはアニメと同じですが、細かい設定や、アニメでカットされているエピソードなどもあるので、アニメを最後まで見た後でも楽しめるんじゃないかと思いますね。

一方で、これまでまったく『シドニアの騎士』に触れたことがない、という方は、原作、アニメの順に見ていくのがいいのではないかと思っています。私もこの順番だったのですが、ストーリーは追いやすかったです。

アニメ一番の見どころは、3DCGで描かれるガウナとの戦闘シーンなので、原作を読んでストーリーを知っていたからと言って、アニメの魅力が半減するということはありません

むしろ原作を読んだ上で、「あの場面はどのように再現されているのか」とか「あの展開はどんなふうに変わっているのか」といったことを楽しみながら見るのがいいように思いました。

もちろん、原作を読んでいないと話が理解できないということはないんですけどね。アニメだけでも、十分楽しめるようになっています。

スケールの大きさに圧倒される

シドニアの騎士』の特徴の一つが、そのスケールの大きさです。スケールというのは、物理的なものもそうですし、時間的なものも当てはまります。

物理的なスケール

物理的なスケールでまず目を引くのは、物語の主な舞台になる「シドニア」の大きさです。

冒頭で「巨大な宇宙船」と紹介しましたが、シドニアはいわゆる「世代宇宙船」です。船員は数十万人に上り、内部には都市も形成されていて、人々はそこで暮らしています。それが可能なだけの大きさが、シドニアという船にはあるのですね。

そのシドニアを襲ってくるのが、対話不能な未知の生命体ガウナです。こちらも、サイズは大きい。個体差はあるものの、ほとんどの場合、人間を遥かに凌駕しています。生身ではまず勝ち目がないため、シドニア側は「衛人」という人間が乗り込んで操縦する巨大ロボット兵器で戦います。

ただ、ガウナはその衛人より、さらに巨大なケースも少なくないのですね。しかも、単体で襲ってくるばかりではなく、複数が連なっている場合などもあって、物理的なスケールという意味では圧倒的です。

巨大さに圧倒される「衆合(シュガフ)船」

衆合(シュガフ)船」と呼ばれるガウナの集合体になると、衛人どころかその母艦であるシドニアすら上回る大きさのものも当たり前のように存在します

しかもそれが、シュガフ船としては小さいものだったりするんですよね。物語の中では「小シュガフ船」なんて呼ばれたりもしますが、サイズもそうですし、内包しているガウナの数も500~5000体ととても「小」とは思えない数になります。

これが「大」になると、サイズが惑星クラスという想像を絶するものとなります。こうなってくるともう、内包しているガウナの数ははかり知れません。

ガウナは単体でも手強い相手で、衛人に乗っているからといって簡単に撃破できるわけではありません。そのガウナが5000体以上も潜んでいるなんて、シドニアの船員でなくてもめまいを起こしそうになります

ですが、シドニアを守るために主人公谷風長道たちは、そうした巨大な存在をも倒さなければならないのですね。

このでたらめな大きさと圧倒的な数を持つガウナとの戦いは、それだけでスケールの大きなものになります。そしてそれがそのまま、『シドニアの騎士』から感じられる物理的なスケールの大きさにもなっています。

時間的なスケール

時間的なスケールで驚かされるのは、シドニアが1000年以上、宇宙を旅し続けているという事実です。

物語開始時点で既に、シドニアが地球を出航してから1000年以上の時間が経過しています。物理的なスケールと合わせて考えるとシドニアは、「数十万人の人間を乗せて、1000年以上宇宙を旅している船」ということになります。これだけ聞いても、壮大さを感じられますよね。

この1000年という時間を特に強く意識させられるのは、過去の出来事を振り返るときです。

「数世紀前のシドニアにまつわる出来事」なんかも、描かれたりしますからね。船における過去の出来事なのに、単位が世紀というのもなかなかないと思います。

シドニアの「歴史」が感じられる

そして、ここが『シドニアの騎士』という作品のおもしろいところなのですが、この1000年という時間、単に長大さを見せるたいがためのこけおどしに留まっていないのですね。

その間に積み重ねられてきた先人たちの努力や苦闘、新たな発見や大きな事件などが、現在のシドニアにきちんと反映されているのです。

しっかりとした歴史が感じられる」とでも言えばいいのでしょうか。10世紀以上という時間がただの数字ではなく、そこに具体性が感じられるのです。描かれている数世紀前の出来事も、現代にダイレクトにつながっていたりするんですよね。

だからこそ、時間的なスケールの大きさを感じられるのだと思います。

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正体を想像したくなる存在「寄居子(ガウナ)」

シドニアの騎士』最大の謎が、「寄居子(ガウナ)」です。

ガウナは、人類最大の脅威でもあります。

宇宙を漂流していて、人間を見つけると問答無用で襲ってきますからね。その力は強大で、巨大でもありますし、数も非常に多い。しかも対話不能ですから、話し合いで解決なんてできません。

シドニア側も、「降りかかる火の粉は払わなければならない」とばかりに必死で戦います。

ただ、そもそも、なぜガウナが人類を襲うのかはよくわかっていないのですね。

何の意志もなく、本能的に人類を襲っているだけ、と断じてしまうこともできなくはなさそうに思えます。しかし一方で、それですんなり納得できない部分もあるんですよね。

というのも、ガウナは人類に興味を持っているようにも感じられるのです。

人類を模倣するガウナ

それが顕著に表れているのが、「模倣」です。

ガウナにはたびたび、人類の真似をするような行動が見られるのですね。

それは体内に取り込んだ人間や衛人の姿をコピーする、というシンプルなものから、内部構造まで含めて人間そっくりな身体を作り出すというより複雑なもの、あるいは衛人と操縦者をそっくり再現し、人間のような戦い方をしてくる、というような高度な模倣まで多岐に渡ります。

ガウナの目的が人類を滅ぼすことなら、こうした模倣は必要とは思えません。そんなことをしなくても、ガウナは十分人類を存亡の危機に追いやることができているからです。

それでも敢えて真似をしてくるところに、何らかの意味があるのではないかと思えてくる。

ガウナは人類を理解しようとしているのではないか。もしそうなら、対話不能と思われたガウナとの間に、意思疎通の手段も持てるのではないだろうか。

そんなことを考えたくなってしまうのですね。

しかし一方で、「特別な意味などはなく、模倣もまたガウナの本能的な行為に過ぎない」という解釈もできます。

ガウナは人類最大の脅威ですが、一方で、想像を掻き立てる材料を与えてくれる相手でもあるのですね。

その正体に対して、あれこれ考えるのが楽しい。そしてそれこそが、『シドニアの騎士』という作品の大きな魅力にもなっています。

『シドニアの騎士』は純愛もの?

数十万人の人間を乗せ、1000年以上もの間宇宙を旅しているシドニア。

そんなシドニアと人類の脅威であるガウナとの生き残りを駆けた戦いが、『シドニアの騎士』という物語の主旋律であることは間違いありません。

ただ、では戦いだけが描かれた物語なのかというと、そういうわけでもないのですね。

というのも、『シドニアの騎士』は、ラブコメ要素も強く感じられる作品になっているからです。

その中心にいるのはもちろん、主人公谷風長道です。

衛人の操縦士として超一流の技術を持っている谷風は、戦いの場面では極めて頼りになる存在です。しかし一方で、日常生活になると、少々抜けたところがある。

冒頭でも触れた通り、このギャップが『シドニアの騎士』という作品の魅力です。

そして谷風の場合、この落差は彼の生い立ちと関係しているのですね。

純朴という表現がしっくりくる谷風

谷風は他のシドニアの住民たちとは違い、成長するまでシドニアの地下で祖父と二人きりで暮らしていました。そのため、シドニアにおける常識に疎く、また人付き合いにおいては非常に素直で、純粋なところがあります。

「純朴」と言ってもいいかもしれません。

その態度は、恋愛においても変わりません。

卓越した衛人の操縦技術という特技を持っていることもあり、異性からの人気はある谷風。しかし彼は、自分に向けられる好意には鈍感です。

純朴が故に、鈍感なのですね。

この鈍感さは、『シドニアの騎士』という作品にコメディ要素を付与する、という意味で重要です。緊張と緩和、でいうところの「緩和」に当たる部分ですね。

ただ、ではこの恋愛要素が最後までコメディ強めかというと、そういうわけでもないのですね。

純愛度が増す終盤

好意に鈍感な谷風ですが、恋愛に無頓着というわけではありません。彼にも心惹かれる相手は現れますし、その恋模様も描かれます。ただ、純朴さは変わらずで、それがゆえに少々甘酸っぱい。けれど、とても好感が持てるものになっています。

そしてその谷風の恋模様は終盤にかけて純愛度を増していき、物語最終盤に劇的な展開をもたらします。

ネタバレになってしまうため詳細な説明ができないのがもどかしいですが、その内容は非常に心揺さぶられるものになっていました。

この最終盤が『シドニアの騎士』という作品のランクを引き上げているようにも感じましたね。

またこれがあることで、「『シドニアの騎士』はバトルものでもラブコメものでもなく、純愛ものだったのだ」と確信を持てたような気さえしました。

ここはぜひ、ご自分の目で確かめてみていただければと思います。

最後に

シドニアの騎士』を存分に味わいたいなら、原作、アニメどちらにも触れるのがおすすめです。

原作は単行本15巻。新装版の場合は7巻です。

アニメは、テレビシリーズが2期全24話と、劇場版2作がそれぞれ次のタイトルで制作されています。

  • テレビ第1期:『シドニアの騎士』(全12話)
  • テレビ第2期:『シドニアの騎士 第九惑星戦役』(全12話)
  • 劇場版第1作:『劇場版 シドニアの騎士
  • 劇場版第2作:『シドニアの騎士 あいつむぐほし

劇場版第1作はテレビシリーズのダイジェストなので、物語を追うなら、テレビシリーズ全24話と劇場版第2作『あいつむぐほし』を見ればOKです。

冒頭でも書きましたが、最初に原作を読み、それからアニメを見るのがいいと個人的には思っています。

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この記事を書いた人

アニメとサッカーを見るのが好き。
累計視聴数は400本を超えていて、今も増え続けています。

作品を見て、感じたこと、考えたことを書いています。