秩序によって支えられていたカオス-『終末トレインどこへいく?』-

終末トレインどこへいく?』。放送中にこの作品を見ているときの印象は、ただ一言「カオス」でした。「7G事件」によって変容してしまった世界を舞台に、西武池袋線沿線で繰り広げられる常軌を逸した異常事態を見せつけられるのが本作だったからです。

次に何が起こるのか、どんな突拍子もない状況が待ち受けているのか。それがこの作品を見る上での楽しさの一つでした。その「先の見えなさ」は、確かにカオスと呼ぶのがふさわしいものだったかもしれません。

ただ最後まで見終えて改めて考えてみると、「実は思ったほどカオスでもなかったんじゃないかな」という気がしてきました。シンプルで混じりけのないカオスというよりも、「秩序に支えられたカオス」という方が正しかったんじゃないかと思うようになってきたからです。

目次

「トレイン」が持つ秩序のイメージ

ではその秩序とやらは、どこにあったのか。一つは、タイトルにもある「トレイン」です。「トレイン」、直訳すると「電車」ですが、ここでは移動手段という意味を明確にするために、「鉄道」と言い換えておきましょう。

鉄道には、次のような特徴があります。

  • 走る区間が決まっている
  • ルートは常に同じである
  • レールの上以外走行できない
  • 停車する場所(駅)と時刻が厳密に定められている

ご覧の通り、ガチガチです。単なる移動手段なら他にもありますが、ここまでガッチリ固められているものはなかなかありません。「鉄道は秩序の塊」。そう言ってしまっても、いいくらいなんじゃないかと思います。

この鉄道の持つイメージは、『終末トレインどこへいく?』から秩序を想起させる要因の一つになっていたように思います。本作において鉄道・電車は、極めて重要な位置を占めていますからね。

冒頭にも書いた通り、『終末トレインどこへいく?』の世界は「7G事件」によって大きく変化してしまっています。そのため本作に登場する西武池袋線は、実際にはここで挙げた特徴のすべてが当てはまっているわけではないのですが、「吾野-池袋間を走行」「レールの上を走る」といった部分は維持されています。すなわち、トレインの持つ秩序は失われてはいないわけです。

「だんご30兄弟」構造

「7G事件」によって大きく変化してしまった『終末トレインどこへいく?』の世界では、各地で常識を大きく逸脱した事態が発生しています。発生している異常は、一様ではありません。

  • 出発地に当たる吾野駅では「大人の動物化」
  • お隣の東吾野駅では「頭にキノコが生える」

といった具合に、駅ごとに状況はまったく異なっています。それぞれが個別の「ミニ異世界」を形成している、と言ってもいいかもしれません。

西武池袋線の駅数は全部で30なので、30通りの「ミニ異世界」が存在している、ということになります。一つ一つの「ミニ異世界」で発生している異常は常軌を逸した、常識外れのものであり、ときに狂気すら感じさせるのですが、それらが何の脈絡もなく並んでいる。この構造もまた、『終末トレインどこへいく?』という作品から感じる「カオス」の一因になっています。

ただ、では複数の「ミニ異世界」が乱雑に転がっているだけかというと、それもちょっと違うのですね。それらはすべてど真ん中を、西武池袋線によって貫かれている。30個の「ミニ異世界」がだんごの玉だとすると、西武池袋線はそれらを貫く串として機能としています。「だんご30兄弟」構造です。

これがあるからこそ、個性の強すぎるそれぞれの「ミニ異世界」たちは、発散することなく一つにまとまることができている。西武池袋線という「秩序」が背骨となって、「カオス」の権化のような個別の「ミニ異世界」たちを支えているわけです。

各駅の異変にも細かい秩序

各駅で発生している「ミニ異世界」。本作から感じる「カオス」の発生源みたいな部分ですが、ここもよく見ると細かい秩序によって支えられていたことに気が付きます。

例えば、吾野。この物語の出発点であり、「人間の動物化」が発生している場所ですが、すべての人間が無秩序に動物になっているわけではありません。「21歳3ヶ月」という年齢制限があり、ここを超えると人間は動物になります。これは一つのルールであり、秩序ですね。

お隣の東吾野にも、ルールはあります。こちらは「頭にキノコが生える」というのが異変の内容ですが、キノコに寄生された人間は、漏れなく寿命が1~2年になってしまうのですね。これもルールの一つと言っていいんじゃないかと思います。

「何の制限もなくランダムに動物化してしまう」とか、「頭にキノコが生えてしまった人の寿命も、長い人もいれば短い人もいる」といった設定でも、物語を作ることはできたと思います。その場合、各駅の「カオス」はもっとわけのわからないものになっていたと思うのですが、そこまでには至っていない。「カオス」のようでいて、実は細かい秩序が物語を支えていたのが、『終末トレインどこへいく?』という作品の一側面だったんじゃないかと思うわけです。

最後に

「どこを切ってもカオス」みたいな作品であるにもかかわらず、『終末トレインどこへいく?』にまったく迷走感がありませんでした。その理由はひとえに、「土台や背骨に当たる部分を、秩序がしっかり支えているから」だったんじゃないかと思います。

「秩序に支えられたカオス」という、矛盾しているような言葉がふさわしい作品でした。

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