「部活もの」の作品でおなじみの、上級生を差し置いて、レギュラーの座を掴んでいる下級生。
キラキラ輝く彼らを目にするたびに、実は密かに心を痛めている。
「輝かしい彼らの活躍の陰に、涙を飲んだ上級生がたくさんいるんだろうな……」
そんな考えが頭を過ぎってしまうからだ。
いやもちろん、わかってはいる。それが「実力」という、誰の目にも明らかで公正な指標をもって判断された結果であるということは。チームが勝利を得るためには優れた実力の持ち主がプレイするべきだし、そこに年功序列を介在させるべきではない。
しかし一方で我々は、感情を備えた人間でもある。年下に先を越されるのは、やはりつらい。しかもそれが熱意を持って取り組み、数年、ときには十数年かけて努力を積み重ねてきた競技に関して、というのであればなおさらだろう。
「これが現実だ」と言われて、「はいそうですか」と素直に受け入れることなんてできるはずがない。
程度の差はあれ、誰にだって葛藤はあるはずだ。
雑な扱いを受ける「奪われた上級生たち」
多くの作品で、そうした「奪われた上級生たち」のつらさが描かれることはない。
当たり前だ。主人公を含むメインキャラクターたちは、大抵の場合レギュラーを奪う下級生の側にいるからである。
「奪われた上級生たち」は、所詮はサブキャラクターなのだ。いや、サブにしてもらえるならまだいい方で、モブ同然の扱いをされていることだって少なくない。作品によっては名前だけ、あるいは顔と名前が一瞬登場しただけ、みたいなケースもある。
「下級生に負ける」という、ただでさえつらい役割を押し付けられているというのにこの有様だ。
実に不当である。強い憤りすら感じる。
「受け入れるのが当たり前」
「実力で及ばなかった以上、受け入れるのが当たり前」という社会通念の存在も、彼らの不幸に拍車をかけている。
特に何も描かれていなければ、「潔く受け入れたんだろう」と脳内補完できてしまうからだ。
確かに、結果だけ見ればそうなっているかもしれない。しかしそんな仏の境地に至るまでには、相応の苦しみがあったはずなのだ。
そういったものは、まったく無視されている。
繰り返すが、彼らは「下級生に負ける」という、つらい役割を担わされているのだ。それなのに、まったく報われない。
こんな理不尽があっていいものだろうかと、カジュアルに下克上が行われている部活ものを見るたびに思っている。
『響け!ユーフォニアム』における「奪われた上級生」
もちろん、すべての作品がそうである、というわけではない。
「奪われた上級生」に光を当ててくれている作品もある。その一つが『響け!ユーフォニアム』だ。
『響け!ユーフォニアム』は、京都にある架空の学校、北宇治高校の吹奏楽部の物語だ。原作は武田綾乃さんの小説で、それを元にしたアニメも制作されている。
主人公黄前久美子は北宇治高校の新入生で、吹奏楽部の新入部員でもある。アニメでは、全国吹奏楽コンクールでの金賞を目指して苦闘する、彼女の卒業までの日々が、テレビシリーズ3期、劇場版5作(うち2作はテレビの総集編で、1作はスピンオフ)を通して描かれている。
内容は、まじりっけなし、純度100パーセントの「部活もの」だ。
もちろん、下級生に負ける上級生も登場する。それも一人、二人ではなく、名前のある部員でも数人がそうした憂き目にあっている。
中でも特別な光を当てられていたのが、久美子が1年生のときの3年生、中世古香織だ。
中世古香織の不運1:高坂麗奈の加入
吹奏楽部には、運動系の部活と違って試合がない。
その代わり、コンクールがある。コンクールメンバーが、運動部でいうところのレギュラーに当たると言っていいだろう。
香織が争うのは、コンクールメンバーの椅子ではない。トランペット奏者である香織の実力はエース級で、メンバーに選ばれるのは当たり前だからだ。
彼女が争うのは、ソリスト、すなわち独奏者の椅子である。
最高学年であり、実力もトップクラス。そこだけ見れば、香織がソロを吹くことにまったく違和感はない。
しかし実際には、彼女は「奪われた上級生」となってしまった。
というのも、彼女が3年生に進級した年に、高坂麗奈というとんでもないのが入部してきてしまったからである。
プロのトランペット奏者を父に持ち、自身も抜群の才能を備えている麗奈は、入部時点で既に誰よりもうまい。その実力は京都どころか関西も飛び越え、全国レベルと評されている。
高校生としての最後の大会を前に、そんな相手と競う羽目になってしまったのだ。
中世古香織の不運2:実力主義への方針変更
さらに香織が気の毒なのは、顧問の交代によって、北宇治高校吹奏楽部の方針が変更になったことである。
彼女の実力は2年生の時点で既に確かなものであり、ソロを吹いていてもおかしくなかった。ところが前年までの北宇治高校では年功序列が採用されていたため、2年生の彼女はソロを吹かせてもらえなかったのである。
自分より明らかに下手で練習もしていない3年生が、上級生であるという理由だけでソリストを担当していた(らしい)。
3年生への進級した彼女は、いよいよ自分の番だと思ったはずである。
ところが、ここで部の方針が変更になった。顧問の交代にともなって、それまでの年功序列から実力主義へと舵が切られたのである。
下克上の解禁だ。
折悪しく、そこに強力すぎる新入生の加入もしてきてしまった。
かくして、彼女は北宇治高校吹奏楽部に起こった革命の犠牲者となってしまったのである。
「納得したい」
ソロを外れても、香織自身は表立ってメンバー選考に異を唱えることはしなかった。
しかし、ではモブの上級生キャラが強要されるような「自分の実力不足を認め、潔く受け入れる」という「武士しぐさ」を発動するのかというと、そういうわけでもなかった。
彼女はコンクールで決して吹くことのないソロパートを、密かに練習していたのだ。
その、一見無意味とも思える行動を目撃した久美子に対して、香織と同じ三年生の田中あすかは「納得したいんだよ」と口にする。
ここがいい。
そうなのだ。納得したいのだ。
負けたものは、その負けを抱えたまま生きていかなくてはならない。負けた上でなお、前に進まなくてはならないのだ。
そのために必要なのがこの納得なのだ、と思う。
彼女の納得の形はひどく残酷だ。
高坂麗奈との一騎打ちの結果、全部員の前で自ら「(ソロを)吹かないです」と口にすることになるからだ。
しかし一方で、それは敗者に対する最大限の敬意であったとも思う。納得いくまで戦う場を与えた上で、自ら負けを認めさせているのだから。
最後に
すべての「奪われた上級生」に対して、中世古香織と同等の扱いをすることは現実的ではないだろう。
『響け!ユーフォニアム』でも、下克上を食らった上級生で香織並の扱いをしてもらっている者は他にいない。
しかし、描かれていないだけで葛藤はあるはずなのだ。それがたとえ、モブ上級生であっても。
そんな名もなき日陰の存在たちに密かに心を寄せながら、カジュアルに行われる「部活もの」での下克上を眺めている。