『夜のクラゲは泳げない』という作品でおもしろかったのは、メインキャラクターの4人が結成する音楽ユニット「JELEE」のメンバー編成が、定番とは少し異なっていたことです。
この作品には「無名の4人が音楽を通じて絆を深め、人気を得ていく物語」という側面があります。そういう作品で結成されるグループの定番はバンドで、編成は、
- ボーカル
- ギター
- ベース
- ドラム
になることが多いです。
もはや伝統的と呼んでもいいこのパターンは現代でも変わっていなくて、最近の作品でも2022年の『ぼっち・ざ・ろっく』がそうでしたし、また『夜のクラゲは泳げない』と同じ時期に放送されていた『ガールズバンドクライ』もこれでした。『ガールズバンドクライ』は5人編成で、ここにキーボードが加わっていましたが、基本的には同じと考えていいと思います。
でも、『夜のクラゲは泳げない』は他と一線を画していました。
JELEEはバンドではありませんでしたし、メンバー4人の役割分担は、
- ボーカル
- イラストレーター
- 作曲
- 動画編集
となっていました。定番と一致しているのはボーカルだけです。
この中で、「作曲」はまだ音楽ユニットのメンバーとしてうなづけるでしょう。オリジナル楽曲を制作するなら、作曲ができるメンバーは必要です。
でも残りの2つ、イラストレーターと動画編集はそうではありません。音楽とは直接関係がなさそうに見えますし、「そもそも音楽ユニットのメンバーと言っていいのだろうか?」という疑問も浮かんできてしまいます。
メンバー編成に感じる必然性
この異質さが、「ちょっと変わったことをやってやろう」という安易な気持ちで盛り込まれたものだったとしたら、驚きはあったとしても、好意的な目を向けることはなかったでしょう。むしろ、興が覚めてしまったと思います。でも、そうはならなかった。理由は「JELEEのこのメンバー編成に必然性が感じられたから」なんだろうと思います。
必然性の話をする前に、JELEEの音楽活動について紹介しておきましょう。JELEEはネット配信を主な音楽活動の場とする、覆面音楽ユニットです。元々はボーカルの山ノ内花音が覆面シンガーとして自分の歌をネットで配信していたのですが、そこに3人が加わって音楽ユニットJELEEが結成されました。
自分の歌をネットで流すだけなら、ボーカル一人がいれば十分です。実際、花音は一人でも活動はできていました。でもオリジナルの楽曲を作りたいとなると、話は変わってきます。花音は作曲ができないですからね。「作曲」ができるメンバーが必要になります。
またネット配信といっても、現代は動画が主流ですから、ビジュアルイメージなしの音声だけでは多くの人のその歌声を届けることができません。そこで動画、本作の場合はMVの制作もしたくなるところですが、それには「動画編集」のスキルを持ったメンバーが必要になります。
そしてまた、ここで問題になるのがJELEEが覆面音楽ユニットであるという点です。MVを制作するにしても、ボーカルの花音本人が映像に登場するわけにはいきません。素顔を明かさないのが覆面シンガーですからね。そこで必要となるのが「イラストレーター」です。イラストのキャラクターを用意して、花音本人の代わりにMVの中で活躍してもらおう、というわけです。
こうして考えてみると、一風変わったJELLEのメンバー編成は、「ネット配信を主な活動の場とする覆面音楽ユニット」という特性にしっかり沿ったものであることがわかります。いたずらに奇をてらったものではなく「なるべくしてなった」。すなわち、この編成になる必然性があったと思えてくるのですね。
「現代」が色濃く反映されている
もっとも、こうした説得力の持たせ方自体は、物語を作る上で基本と言ってもいいものです。他の多くの作品でも同じようなことは行われていて、本作だけが特別というわけではありません。『夜のクラゲは泳げない』で目を引いたのはむしろ、これを必然とさせたもの方です。そこには現代が色濃く反映されていました。
メンバー編成以前に、「ネット配信を主な活動の場とする音楽ユニット」という存在が既に現代的です。高速・大容量のネットワークが当たり前の存在となり、誰もが発信者になることができるようになった現代社会でなければ、存在しえなかったでしょう。
JELEEの場合、ここに「覆面」という要素が加わりますが、素顔を明かさないシンガーやアーティストも現実に存在していますから、これも決して荒唐無稽ではありません(もっとも、こちらはもう少し前から存在しているので、現代的とまでは言えないかもしれません。現実的ではありますが)。
「覆面シンガーが表に出せない素顔の代わりに、イラストのキャラクターを使う」という手法は、主流とは言えないのかもしれません。それでも、この仕掛けに違和感を覚えなかったのは、現代におけるVtuberの隆盛があるからなんだろうと思います。彼らのおかげで我々は、「表に出ない自分の代わりにキャラクターを立てる」という手法を見慣れているのですね。その意味で、ここは特に現代との親和性を強く感じた部分ですし、また新鮮でもありました。
動画編集のスキルを備えた個人については、多くを語る必要はないでしょう。紛れもなく、「高速・大容量のネットワークが当たり前の存在となり、誰もが発信者になることができるようになった現代社会」の産物です。
ここまで語ってきた内容を考え合わせてみると、我々がJELEEという存在を、特別な違和感を覚えることなく受容できたり、そのメンバー編成に必然を感じることができたのは、時代背景によるところが大きいとわかります。裏を返すとそれは、『夜のクラゲは泳げない』という作品に色濃く現代が映し出されていることの証左でもあるんですよね。
最後に
今回は、JELEEのメンバー編成とそこに必然性を感じさせる時代背景から、『夜のクラゲは泳げない』に反映されている現代について書いてみました。
書いていて改めて感じたのは、「現代」を感じさせる要素のほとんどがネットを前提としていることです。「高速・大容量のネットワーク」はもはや当たり前。それ自体は「現代的」とすら言えず、「それをどう使っているか」に時代が現れる段階になっていることを感じました。