「完全にオリジナルの、まったく新しい物語」というものは、世の中にはもう存在しないらしい。
物語の”型”はとっくの昔に出尽くしてしまっていて、どんな名作も、独創的に見える作品も、細かく見ていけばそれらを組み合わせているに過ぎないのだそうだ。
学生時代、ある講義でこの話を聞いたときの僕の率直な感想は、「マジかよ」だった。あらゆる創作物で、最もすばらしいところは、オリジナリティだと思っていたからだ。
誰の真似や、何かのパクリなんかに価値はない。ゼロから生み出された作品こそ、至高である。
当時の僕は、無邪気にそんなことを信じていた。
「物語の”型”はとっくの昔に出尽くしてしまっていて、あらゆる物語はその組み合わせに過ぎない」
もしこれが本当なのだとしたら、世に溢れるすべての物語は過去にどこかの誰かが作ったものの模倣、あるいは模倣の詰め合わせってことになってしまう。
そんな馬鹿なことって、あるんだろうか?
「王道」×「王道」=?
この話を思い出したのは、ちょっと前に『バディ・コンプレックス』という作品を見たからだ。
『バディ・コンプレックス』はサンライズ制作のオリジナルロボットアニメで、2014年に放送されている。1クール13話に「完結編」が2話付いた、全15話の作品だ。
この作品で目を引いたのは、2つのジャンルを組み合わせた物語だったということだ。基本は「ロボットもの」なんだけど、そこに「タイプスリップもの」の要素も盛り込まれている。
「ロボットもの」と「タイムスリップもの」。どちらも、物語としては珍しくない。どちらのジャンルの作品も昔から山のように作られているし、「王道」と呼ばれるようなおなじみの展開も存在している。
実は『バディ・コンプレックス』も、割とこの「王道」色が濃いものになっている。
しかしそれは、「ロボットもの」、あるいは「タイムスリップもの」というそれぞれのジャンルとして見た場合だ。「ロボットもの」としては、ありがち。「タイムスリップもの」としても同様。
ただ、両者を組み合わせた「タイムスリップするロボットもの」として見てみると、急に独自性が強く感じられるようになってくる。
一つ一つは「ありがち」「王道」であっても、それらをかけ合わせることで「オリジナル」を生み出すことはできるのだ。
いかに飾り付けるか
『バディ・コンプレックス』でもう一つ目を引いたのが、「カップリングシステム」という機構だ。怪しい出会い系アプリの基幹機能みたいな名前だが、もちろん出会い系とはまったく関係がない。
『バディ・コンプレックス』に登場する「カップリングシステム」とは、
「二人のパイロットが同調し、感覚を共有することで、互いの戦闘能力を向上させるシステム」
のことだ。
平たく言ってしまえば、「ブースト装置」である。これもおなじみの仕組みだ。類似の技・機能は他にもいくらでもある。古くは『ドラゴンボール』の「界王拳」がそうだし、サンライズロボットアニメの系譜で語るなら、『機能戦士ガンダム00』に出てきた「トランザム」などがそれに当たるだろう。
ブースト装置にお決まりの時間制限も、「カップリングシステム」にはしっかり設けられている。
すなわち、「カップリングシステム」の核になる機能や効果自体は決して目新しいものではないのだ。しかし、そこに「二人のパイロットが同調し、感覚を共有する」という条件が追加されることで、この平凡なブースト装置が独特のものに見えてくる。システム関連用語に用いられる「プロポージング」と「ナイスカップリング」とかいう、ふざけてるのか本気なのかよくわからないワードも、独自性の演出に一役買っている。
核になるアイデアが平凡でも、飾りつけ次第で独自の輝きを与えることはできる。「カップリングシステム」は、その好例と言っていいんじゃないかと思う。
”型”は出尽くしてしまってのかもしれないが
「物語の”型”は既に出尽くしてしまっていて、今作られている作品はそれらを組み合わせているに過ぎない」
この話が本当なのかどうか、僕にはよくわからない。ただ、これまで触れてきたたくさんの物語のことを思い返してみると、あながち間違いではないんじゃないかという気はしている。
でも、じゃあオリジナルな物語はもう作れないのかというと、そんなことはないとも思う。
素材は確かに、どこかで誰かが作り出したもの、あるいは既に一度ならず使われたものであるのかもしれない。
それでも、「それらをどのように組み合わせるか」「どんな装飾を加えるか」といった工夫で、独自色を出すことはいくらでもできるはずだ。
『バディ・コンプレックス』は、そのことを改めて思い出させてくれた作品でもあった、と思っている。