「何か、人と違ったことがしてみたい」
高校生のとき、ふとそんなことを思って何ができるか考えてみた。でも、そんなに度胸があるわけでもない、へっぽこティーンエイジャーだったから、髪をショッキングピンクに染めるとか、耳と鼻と唇にピアスの穴をあけまくるとか、改造制服を着て恥ずかしいくらいイキり倒すとか、そういうラディカルな変化にまではとても踏み切れそうもない。
というわけで辿り着いたのが、「髪を伸ばしてみる」ことだった。
「いやいや、髪を伸ばすって、そんな大げさな話でもないでしょ」と思われるかもしれない。僕も今ならそう思う。でも、中学時代を品行方正な一生徒として過ごし、そのままのマインドで高校に進学した当時の僕にとっては、その程度のことがちょっとした冒険に感じられたのである。
またそんなアウトロー初心者にとって「髪を伸ばす」が好都合なのは、変化が緩やかに行われるというところだった。これが「髪を染める」とか「制服をいじる」とかだと、話は変わってくる。その手の行いは、「一夜にして劇的な変化を遂げる」という状況を作り出してしまうからだ。当然、周囲の反応も大きくなる。するとそれに耐え切れず踏み出した一歩を引っ込めてしまう、ということにもビギナーの場合はなりかねないのである。
そんなわけで、高校一年生の途中から散髪を放棄した僕の髪は、一ヶ月に一センチのペースで着実に伸長を続けた。初めの頃は「髪、伸びたね」と指摘してくる家族や友人はいたが、僕が意図的にそれを行っていることが知られてくると、誰も何も言わなくなった。学校から指導を受けるようなこともなかった。僕の通っていた高校は、服装についてそんなにうるさく言ってくるところではなかったのである。
そうして二年生に進級する頃には、僕の髪は肩に届くくらいとなった。念願叶い、長髪男子へのジョブチェンジに成功したのである。周囲からの反応は、特にはなかった。好評もなければ、不評もない。クラスに女子がいたら、「似合わない」「汚い」等の陰口を叩かれていたのかもしれないが、幸いにして、僕が通っていた高校は教師も含めてオール男という生粋の男子校だった。クラスメイトのほとんどが、「何か、髪の長いやつがいる」くらいにしか思っていなかったのだろう。
でも僕は、それで十分満足だった。クラスには、他に髪の長い生徒はいなかったからである。「人と違ったことをしてみたい」という当初の目的は、これで遺憾なく達成されたことになる。
それからしばらく、僕は長髪で通した。短かったときに比べると、風呂上がりのドライヤーに時間がかかったり、湿気の多い時期にへんてこなカールがかかったり、夏場はシンプルに暑かったりと色々面倒なこともあった。でも、長髪だけが「枠からはみ出ている自分」の証だったから、キープし続けるために耐えた。そのうち仲の良い友人たちの間では、長髪が僕のトレードマークみたいになってきた。そのことにも、僕は満足していた。
ただ、そうした時間も永遠には続かなかった。三年生になると見慣れた長い髪が当たり前に思えてきて、「もういいかな」と思うようになってきたのである。
「髪を切ろう」
夏休みの前には、そう決めていた。しかし、すぐに決行には移らなかった。せっかく苦労して伸ばした髪なのだから、最後にもう一つ、これを利用して何かインパクトのあることをしたい、と考えたのである。
すぐに思い付いたのが、丸刈りだった。長髪からいきなり丸刈りになったら、おもしろいんじゃないだろうか。きっとみんなびっくりするだろう。もうすぐ夏休みだから、今やるのはもったいない。やるなら二学期初日だ。一学期の終わりには長髪だったのが、夏休み明けには丸坊主になっている。これで驚きは倍増するはずだ。
うん、それがいい。それで行こう。この断髪計画を実行に移すべく、夏休み最終日、僕は床屋に向かった。椅子に座ってカットクロスを掛けられ、「丸刈りで」と伝えると、理容師のおじさんは一瞬驚いた顔を見せた。しかし、そこは相手もプロだ。すぐに「何ミリにします?」という質問が返ってきた。僕はちょっと焦った。「長髪から丸刈りへ」というアイデアだけで楽しくなってしまい、どのくらいの長さにするのか、というところにまで頭が回っていなかったのである。
とっさに頭に浮かんだのが、「五分刈り」だった。それをそのまま伝えると、鏡越しにおじさんがうなづくのが見えた。それからおじさんはバリカンを取り出し、僕の髪を真ん中から刈り始めた。二年間、伸ばし続けた髪がカットクロスの上に降った。次々に降る髪に押されて一部がクロスの表面を滑り、床に落ちていく。その様子を、僕は少しの寂しさを持って眺めていた。自分の高校生活にも終わりが近づいている。慣れ親しんだ長髪との別れも、それを象徴する出来事の一つになるのかもしれない。
そんな考えに浸っているときに、おじさんのバリカンが不意に止まった。顔を上げると正面の鏡には、中央を短く刈られ、両サイドには長髪の残った、落ち武者そっくりとなった自分の顔が映っていたのだった。
翌日、丸刈りになった僕に対するクラスメイトの反応は、おおよそ期待していた通りだった。仲の良い友人たちは爆笑し、それほどでもないクラスメイトたちは驚愕の目を向けている。突然の坊主頭を「悪事への謝罪なのでは」とあらぬ方向に捕らえ、「何か、やらかしたの?」と心配してくれる友人もいたが、もちろんそんなわけはなかった。
身体を張った僕の渾身のギャグは、一応の成功を収めたと言えるだろう。僕はそのことに大変満足していたのだが、二学期が始まってひと月ほど過ぎたときに、一つ、大事なことを忘れていたのに気が付いた。
卒業アルバムの写真撮影が、まだだったのである。
僕の丸刈りはあくまで、「長髪から突然坊主へ」を実行するためのものだった。そのまま坊主頭を維持するつもりはなかったし、後に残そうなどとは考えてもいなかったのである。これは一夜限りの夢であり、打ち上げ花火のようなものであるはずだった。しかし卒業アルバムに載るとなると、多くの人の手元に長く残ることになってしまう。
タイミングを誤ったことを僕は激しく後悔した。だが既に、頭は刈ってしまっている。今になって何ができるわけでもないし、写真撮影があるからといって、髪が急激に伸びてくれるはずもない。
そんなわけで、五分刈りが伸びて巨大なマリモみたいになった僕の頭は、高校の卒業アルバムにしっかりと残されているのである。