「自分より上か、下か」で、人を評価していた彼

今振り返ると実に奇妙な話なのだが、高校生の頃、一部の友人グループの間に「好きな女優や女性アイドルの名前を公言するのは恥ずかしい」という奇妙な空気があった。

好きな女性芸能人の名前を明らかにするくらい、何でもないと今なら思う。しかし、そこは純朴な男子高校生のことだ。芸能人とはいえ、「異性を好き」と公言することに照れがあったのだろう。僕が通っていた高校が男子校だった、ということも少しは関係していたのかもしれない。

幸いにして、その頃の僕に好きな女性芸能人というのはいなかった。だからこの面倒な戒律に直接被害を受けることはなかったのだが、彼らの間に流れる微妙な空気を感じさせられることは時折あった。好きな女性アイドルがいるのに口に出せない、隠れキリシタンみたいな苦悩を味わっていた友人も、あるいはいたのかもしれない。

もっとも、そうした抑圧的な空気に全員が屈していたわけではなかった。自分の好きな女性アイドルの名前を堂々と口にする変人もいたのである。

彼のことは、仮に杉山くんと呼んでおこう。杉山くんは、当時そこそこ人気のあったある女性アイドルのファンであることを公言していた。同じグループの友人たちがためらってしまう領域に、堂々と足を踏み入れていたのである。

しかし、それで彼の周りにいる友人たちが、

「さすがディオ! おれたちにできない事を平然とやってのけるッ そこにシビれる! あこがれるゥ!」

みたいな興奮を感じていたかというと、ちっともそんなことにはなっていないのだった。エリナ・ペンドルトンの唇を奪ったディオと違って、杉山くんはみんなから冷ややかな目で見られていたのである。彼の行為は、自分を大きく見せようとして張った虚勢でしかなかった。そしてそのことを、彼の友人たちは見抜いていたのだった。

杉山くんが、そうしてやたらと自分を大きく見せようとするのにはワケがあった。彼は自分の周りにいる人たちを「自分より上か、下か」で判断する人間だったのである。

さらに言うと杉山くんは、そうして下した自分との上下関係を元に、相手への態度を変える人でもあった。「自分より下」と見なした相手には、どこまでも横柄な態度を取る。一方、「自分より格上」と判断した相手には、深層の令嬢みたいに慎ましやかなふるまいを見せるのである。

杉山くんは、飛びぬけて頭が良いわけではなかった。運動神経は並以下だったし、絵画や音楽といった芸術面に秀でているわけでもなかった。容姿もいたって平凡である。人を上下で判断するくせに、自身に特別な才能は何も備わっていない。それが杉山くんでもあったのである。

そんな凡庸な彼が、何故自分との比較で他人を評価するような無謀な価値観を身に付けてしまったのか。これについては今もよくわかってはいないのだが、「自分には何もない」というコンプレックスが無駄に高い自尊心と結びつく、とそうした歪んだ価値観を生んでしまうものなのかもしれない。

杉山くんには、いつも一緒にいる葛川くん(仮)という友人がいた。二人は同じ中学校の出身で、高校でも二年生と三年生のときのクラスが同じだった。

二人は基本的には仲が良かったのだが、では杉山くんが葛川くんを対等の存在として扱っていたのかというと、そうではなかった。杉山くんは葛川くんを自分より下の存在と見なしていたのである。

彼の態度は露骨だったから、それは誰の目にも明らかだった。葛川くん自身も、気が付いていたと思う。しかし育ちが良いのか、あるいは生来のおっとりとした性格のせいか、葛川くんが杉山くんと距離を取ろうとするような素振りを見せたことはなかった。傍から見るとなかなかひどい言葉をぶつけられたりもしていたのだが、葛川くんは一度も腹を立てたりはしなかったのである。

杉山くんの暴言をニコニコ笑って聞き流す葛川くんの姿からは、西郷隆盛のような度量の大きさを感じさせるところがあった。

二人の関係は、間違いなくそうした葛川くんの性格に支えられていた。そんな葛川くんを、杉山くんは見下していたのである。

高校も三年生になると、進路の話題が盛んになる。

杉山くんの第一志望は、誰もがその名を知る東京の超有名私立K大学だった。何故彼がその大学を第一志望にしたのか。あえて本人に聞きはしなかったが、理由は何となく察しがついた。

彼は「K大生」「K大卒」という、肩書きが欲しかったのである。

誰もが知っている有名大学を卒業していれば、どこにいっても一目置かれる。その肩書が「何もない自分を、何者かにしてくれる」と考えていたのだろう。しかも「K大卒」の肩書は、一生ものだ。

ただ、それを手に入れるためには、杉山くんには乗り越えなければならない大きな壁があった。彼の学力は、K大の合格ラインに届いていなかったのである。

「一生ものの肩書」を手に入れるため、杉山くんは懸命に勉強した。その努力は、多分本物だった。

しかし哀しいかな、彼の努力は、必ずしも成績には反映されないのだった。

夏が過ぎ、秋が深まっても、杉山くんのK大学合格判定は「C」を越えなかった。

それでも杉山くんは、果敢にK大学に挑んだ。元より大学名が最優先だったから、学部は限定せず、可能性がありそうな学部すべてに出願していた。

「K大学絨毯爆撃大作戦」である。

だが、そうしたなりふり構わない、節操をかなぐり捨てた杉山くんの戦いも、分厚い現実の壁の前にはまったくの無力なのだった。

杉山くんは受験したK大学の学部すべてで、不合格を突きつけられてしまったのである。

敗軍の将となった杉山くんに残された選択肢は、次の2つだった。

  1. 浪人して、翌年のK大学合格を期す
  2. 合格している他の大学に進学する

杉山くんは、当然①を選ぶものだと思っていた。「K大卒」の肩書を手に入れるためなら、1年の浪人くらい甘んじて受け入れるのが杉山くんだったからである。

ところが意外なことに、杉山くんは悩んでいた。彼が合格通知を受け取っている大学の中にA大学があり、そちらへの進学も考え始めていたのである。

A大学も、有名大学ではあった。しかしK大学と比較してしまうと、どうしてもネームバリューでは劣った。杉山くんの物差しでも、「K大卒>A大卒」となっているはずだ。だからこそ、悩んだところで結局はK大の方を選ぶのだろう、というのが、彼を知る僕の友人たちの一致した見解だった。

ところが現実は違っていた。杉山くんは、A大学に進学する方を選んだのである。

「若いときの一年間は大きいからな。浪人して時間を無駄にするよりも、早く大学生になった方が絶対いいんだよ」

聞いてもいないのに語ってくれた杉山くんの理由が、苦労と困難を避けた自分を弁護するためのものであることは容易に想像がついた。本音はおそらく、「来年K大学に合格できる保証はないし、何よりもう一年受験勉強するのがツラい」といったところだろう。それをそのまま口にしたって、別に恥ずかしくはないと思うのだが、そこで格好つけようとするのが杉山くんなのである。

僕の周りでK大学を第一志望にしていたのは、杉山くん一人ではなかった。

彼の「大親友」葛川くんも、第一志望はK大学だったのである。

葛川くんのK大学志望は、別に杉山くんと同じ大学に行きたかったから、とかではなかったようだ。杉山くんの志望は後から知ったという話だった。

学力は、葛川くんも杉山くんと大差はなかった。そして彼もまた、K大からは不合格を食らっていたのだった。

他に合格している大学は、葛川くんにもあったようだ。しかし彼が選んだのは、一年間の浪人だった。

杉山くんは、葛川くんのこの選択に大変ご満悦だった。現役大学生と浪人生という、高校時代にはなかった「目に見える立場の違い」がはっきりと現れたからである。この時期の杉山くんの態度は、高校在学中よりもはるかにひどかった。

僕が葛川くんの立場だったら、杉山くんとの付き合いをやめていたと思う。高校生の頃とは違って、教室で毎日顔を合わせるということではないのだから、断ち切ろうと思えば容易に関係は断ち切れたはずなのだ。

でも葛川くんは、それはしないのだった。彼の態度は高校時代と変わらず、いつもニコニコしたままだったのである。


そして、杉山くんのゴールデンタイムもそう長くは続かなかった。

翌年の大学入試で、葛川くんがK大学に合格してしまったのである。

その話を初めて聞いたときの杉山くんの反応がどんなものだったのかは、その場に居合わせなかったので知らない。でも、ショックを受けたことは間違いないと思う。自分が欲しくて欲しくてたまらなかったものを、よりにもよって最も近くにいた「格下の存在」が手に入れてしまったのだ。

特大の下克上を、葛川くんにかまされてしまったのである。

その後、杉山くんが葛川くんを格上の存在と認めたのか。それとも、頭で負けを理解しながらも、顔を引きつらせながら強がって、これまで通り格下としての扱いを継続したのか。

葛川くんのK大合格以降、彼らと顔を合わせる機会はまったくなくなってしまったので、二人の関係がどうなったのかは残念ながら知らない。

人づてに聞いたところによると、大学時代の杉山くんはしばしば「浪人して、もう一度K大学を受験すればよかった」という話をしており、同級生たちからは「未練がましい」と陰で笑われていたということだった。

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