少し前から決行中の「HDDにたまりまくってる旧作アニメを全部消化しよう大作戦」、今回見た作品は『銀河機攻隊 マジェスティックプリンス』です!
放送は2013年なので、10年以上前の作品ですね。なかなかのビンテージものです。そのくらい寝かした場合、どうして録画しようと思ったかの覚えていないものが大半なのですが、本作も御多分に漏れず。まったく記憶にありませんでした。見始めたら思い出せるかも、とも思ったのですが、そんなこともありませんでしたね。最後まで謎のままでした。
まあ多分、「何となくおもしろそう」ぐらいの、ふわっとしたものだったんじゃないかと思います。録画するだけなら費用も労力もほとんどかかりませんからね。後先考えず録りまくっていたとしてもおかしくありません。
そのツケを今払わされているのだと思うと昔の自分に一発かましてやりたい気分にもなってきますが、まあ愚痴っていても始まりません!
『銀河機攻隊 マジェスティックプリンス』、7日かけて全24話見たので、思ったことをネタバレなしで書いていきます!
キャラクターデザインの破壊力
いつも思うんですけど、誰がキャラクターデザインを担当したのか、クレジットを見なくてもわかってしまうのがすごいですよね。ここまで個性が際立っているケースもなかなかないと思うのですが、その影響でどうしても、「種が割れるあの有名ロボットアニメ」の影がちらついてしまうのが玉に瑕です。
特に本作、ジャンルも同じロボットものですからね。同じ引き出しには、『銀色のオリンシス』『鉄のラインバレル』なんかも入ってます。まあ、実際のところこれらが全部似た作品かと言ったら、そうでもなかったりするんですけど、それでも思わず同じ引き出しにしまいたい衝動に駆られてしまうのが、「キャラクターデザイン 平井久司」の破壊力なんだと思いますね。強烈です。
何なら、ジャンルは違っても別に構わないんじゃないかと言う気すらしてきますからね。今のところ、例のあの作品と『鉄のラインバレル』と『銀色のオリンシス』を一緒に入れてますけど、ここに『無限のリヴァイアス』と『スクライド』も入れちゃっていいんじゃないかと思えてきます。
『蒼穹のファフナー』もそうですね。実はまだ見てないのでためらっていたのですが、もういいです、これもやっぱり同じところに入れちゃいましょう。こっちはジャンルも同じですし、そんなに違和感はないはずです。まだ見てないからわからないですけど、大丈夫なはずです。きっと。
「悲壮感」が行方不明
本作を見ていて気になったのはこれですね。「悲壮感」がない。
別にそれが悪いというわけではないんですけどね。「ロボットものに悲壮感は必須」というわけではないですし。ただ、本作のメインキャラクターたちに与えられた割と重めの背景を考えると、もっと「悲壮感」をゴリゴリ押し出してくる作品になるんじゃないかと思ってました。
ならなかったですね。
本作の基本的な構図は、「宇宙からやってきたわけのわからない勢力から、人類を守るために戦う」です。そのわけのわからん連中と戦うために開発された兵器の一つが、「アッシュ」と呼ばれるロボットで、そのパイロットを担当しているのが、本作のメインキャラクターである5人の少年少女たちになります。
彼らに与えられた重めの背景というのは、その出自にあります。この5人、「ちょっとロボットの操縦がうまいだけの、普通の少年少女」ではないのですね。アッシュに乗って戦うために、遺伝子操作によって生み出された子どもたちなのです。
このキャラデザで遺伝子操作された子どもとか言われると、同じ引き出しに入っている「それでも守りたい世界があるあの作品」がちらつくところですが、それはそんなに重要ではありません。
注目すべきは、彼らがそうした自らの出生の秘密を本人たちが既に知っていて、なおかつそれを受け入れてもいるというところにあります。
欠落している哀しみ
この手の設定って、「後から知らされて、ショックを受ける」というパターンが多いと思うんですよね。それを知ったことで、自分を作り出した連中に復讐を誓うとか、自暴自棄になるとか、諦めて現実を受け入れるとかの行動が始まるのですが、いずれのケースにも共通しているのは、「自らの存在に対する哀しみ」です。
自分の存在意義に関わるところですからね。それがそこらにある重火器や戦艦やロボットなんかと同じと言われてしまったら、衝撃は大きいでしょう。哀しみを覚えるのが自然です。
ところが、本作の5人にはそれがないのですね。自分たちの出自を特に哀しいとも思っていない様子で、反発したり、拒絶したりといった負の感情を覗かせるようなこともまずありません。遺伝子操作だけでなく、「記憶をいじられちゃう」みたいなド直球の人権侵害を食らったりもしているんですが、それらも全部承知の上で、受け入れてしまってるんですよね。
そりゃ「悲壮感」も行方不明になるはずです。「悲壮感」の「悲」に当たる哀しみが、そもそも存在していないんですからね。
「自分が死んだら、自分を育ててくれた養父母たちにも連絡がいくのかな」みたいな、それっぽい発言も、あるにはあります。でも、そこにもあまり悲哀はこもっていないんですよね。「実家に置いてきた飼い犬、元気かな」くらいのテンションであっけらかんと語られてしまっています。それがまた、特異性を際立たせてしまっているようにも感じられるんですよね。
意図的に作られた「軽さ」
作品を見始めたばかりの頃は、このあっけらかんとしたところに物足りなさを感じていました。もっと何かあってもいいんじゃないかと、思っていたんですね。
でも話が進むにつれて、「これ、もしかして意図的にやってるんじゃないだろうか」と思うようになってきました。重い話に傾き過ぎないように、わざと軽薄な部分や淡泊な部分、コミカルな部分なんかを作り出していたんじゃないか、と。
キャラ設定が定型的で深みがなかったり、キャラクター同士のやり取りが陳腐極まりなかったり、シリアスな方に傾きかけた物語にコミカルな場面を突っ込んで重苦しさを回避したりしていたのも、すべてそれが理由だったんじゃないかと思えてきたんですよね。
それでもさすがに終盤を迎えたら、シリアスな方向に舵を切ってくるんじゃないかという期待はあったんですが、なかったですね。
結局最後まで、そうはなりませんでした。重くシリアスな方向に倒れることを、あくまで拒絶していたように思います。
でもそれがかえって、「この作品はそういうものだ」という主張を強めていたようにも感じました。この一貫したところは、良かったんじゃないかと思います。
ただちょっと残念だったのは、軽さを演出するために随所にちりばめられていたコミカル要素が、ことごとく滑っていたことですね。ここは好みが分かれるところなので、合う人には楽しめるんだと思います。私はダメでしたね。合いませんでした。
最後に
コミカル要素もそうですけど、キャラクター設定やキャラ同士のやりとりなんかにも「アニメっぽさ」があふれまくってる作品なので、好みはわかれると思います。苦手な人は苦手なんじゃないですかね。
キャラクターについて色々書いてみましたけど、本作の一番の魅力はロボットバトルのシーンでした。
ここはかなり手が込んでいましたし、見ごたえがあったと思います。ロボットバトルだけでどんぶり飯3杯はいける、という方はぜひ。
2016年に完全新作の劇場版『劇場版マジェスティックプリンス 覚醒の遺伝子』も公開されてるみたいですが、そっちは録画になかったので見ていません!
今のところ視聴予定もないですが、『蒼穹のファフナー』を見た後に余力があっていたら見てみようと思います!