マンガやアニメや映画なんかで見かける、「転校初日の転校生の席に、人だかりができる」みたいな場面。
あれは非常に嘘くさい、と僕は思っている。
学生時代に僕も、数多の転校生を見てきた。しかし、あんな場面に出くわしたことはこれまで一度もない。自ら進んで転校生に話しかけに行く生徒など、実際には皆無だった。転校生がやってくる頃には、クラスの人間関係はとっくにできあがってしまっているからだ。
人間関係が固まり切る前に転校生がやってくるケースもある。新学年の初めにやってくる場合なんかがそうだ。その場合でも、二年生以上ならある程度の関係は既に存在しているから、状況はそんなに変わらなかったりする。それ以前に同じクラスになったり、部活が同じだったり、委員会で一緒だったりするクラスメイトがいるからだ。
短くても一年、長い場合は五年を同じ学び舎で過ごしたアドバンテージは大きい。見知った相手がたくさんいるのに、海のものとも山のものとも知れない転校生にわざわざ声を掛けに行く必要などまったくないのである。
転校初日の転校生の席には、人だかりどころか誰も寄り付かないケースの方が多い、というのが、僕の経験からくる感覚だ。そして中学生のときに転校してきた岩崎くん(仮)も、そんなリアルを突き付けられた一人だった。
よりにもよって彼は、三年生の四月に転校してきていたのである。
中学校生活も三年目となれば、新学年スタートの時点で人間関係はかなり固まっている。過去二年の間に、クラスや部活や委員会などで一緒になったことのあるクラスメイトが少なくないからだ。それがなかったとしても、顔くらいは見たことのある相手ばかりになる。
まったく初見の存在というのは、それこそ転校生くらいだ。そんな新参者が入り込む隙間など毛の先ほども存在しない場所に、岩崎くんは放り込まれたのである。
結果は推して知るべし、であった。
転校初日に誰からも声を掛けられなかった岩崎くんは、その後一週間、誰とも話をせずに学校生活を送ることになった。後から聞いたところでは、「あの頃は、家に帰ったら毎日泣いていた」らしい。
こちらでも書いた通り、僕は孤独にはかなり強い方なのでその気持ちは正直よくわからなかった。ただ、中学生の男子が泣くことは滅多にないから、彼にとっては大問題だったのだろう。
そんな岩崎くんを救ったのが、クラスメイトの清水くん(仮)だった。涙の一週間を過ごした岩崎くんに、初めて声をかけたのが清水くんだったのである。
清水くんと僕は、それ以前にも同じクラスになったことがあった。彼は典型的な優等生タイプで、人当たりが良く、困っているクラスメイトを見かけると声を掛けずにはいられない人だった。そんな清水くんが岩崎くんに何の働きかけもしなかったのは、別に彼を例外扱いしていたから、とかではない。清水くんは新学期早々、学校を休み続けていたのである。四月だというのにインフルエンザに感染して、新学年初日から一週間学校に来ていなかったのだ。
久しぶりに登校してきた清水くんは、自席にぽつんと座っている見慣れない顔にすぐに気が付いたようだった。他のクラスメイトに事情を聞き、すぐに岩崎くんの席に向かった清水くんを、僕は少し離れた自分の席から眺めていた。清水くんに話しかけられた岩崎くんが、何か答えている。死人みたいだった岩崎くんの顔に、みるみる生気が戻っていくのが遠目にもわかった。
それからしばらく清水くんは、岩崎くんと行動を共にするようになった。他にもたくさん仲の良い友だちがいた清水くんだが、意識して岩崎くんに声をかけるようにしているのは傍目にも明らかだった。そんな二人の様子を見て、他のクラスメイトたちも自然と岩崎くんと話をするようになっていった。やがて岩崎くんにも気の合う友人が何人かできたようで、一学期の終わり頃になると、岩崎くんは清水くんよりもそっちの仲間たちと一緒にいることが多くなった。
夏休みが終わって二学期が始まると、教室の空気がガラリと変わった。部活を引退し、夏期講習を経て、高校受験を意識するクラスメイトがぐっと多くなっていたのである。
「志望校の雰囲気を知るために、文化祭に行ってみるのもいいぞ」という担任の話を聞いて、みんなその気になったりもしていた。ただ、一人で行くのはちょっと心細いので、友だち同士連れ立って行こうと考えているクラスメイトがほとんどだった。清水くんもその中の一人だった。ただ、友だちは多いはずの彼が、どうやら一緒に行く人を見つけられていない様子だった。僕にも声をかけてきたので話を聞いてみると、彼の志望校で文化祭が開催される日は他の高校の開催日と重なっていて、そっちに行きたいという人が多いらしい。同じ学校を第一志望にしている人と行けば良いのでは、とも思ったが、清水くんはかなり成績が良かったから、クラスはおろか学校内にも同じ高校を受験しようと考えている人はいないのが実情なのだった。
その日に別の用事があった僕も、清水くんの誘いを断らざるを得なかった。清水くんがガッカリしているのを見るのは、胸が痛んだ。
そのとき、近くにいた岩崎くんが声を掛けてきた。どうやら僕たちの話が聞こえていたらしい。
「オレ、一緒に行ってもいいよ」と彼は言った。
清水くんの顔が、ぱっと花が咲いたように明るくなった。
「え、いいの?」
「うん」
清水くんと岩崎くんの成績には、雲泥の差があった。天地がひっくり返っても、岩崎くんが清水くんの志望校を一緒に受験するような事態が起こるとは思えなかったから、その高校の文化祭を見たところで、岩崎くんには何の役にも立たなかっただろう。
それでも自分から声をかけてきたのは、困っている清水くんを助けたかったからなのではないか。自分がかつてそうしてもらったように。
当日の予定を話し合う二人の様子を眺めながら、僕はそんな風に思っていた。
でも現実は、ちょっと違っていた。
清水くんの第一志望校で文化祭が開催された後の、最初の月曜日。
音楽室に向かう途中、清水くんと一緒になった僕は、何気なく週末のことを訊ねてみた。清水くんは「うん、まあ行ってきたよ」と答えてくれたが、その顔はどこか沈んでいるようにも見えた。「あんまりおもしろくなかった?」と聞いてみると、「いや、そんなことなかったよ。雰囲気はわかったし、一人で来てる人、他にも結構いたからね」と清水くんは言った。
僕は首を傾げた。
「一人?」と僕は聞いた。「岩崎は? 一緒に行ったんじゃないの?」
「来なかったんだよね」と言って、清水くんは気まずそうに笑った。
文化祭当日、岩崎くんは時間になっても待ち合わせ場所に現れなかったらしい。清水くんが電話を掛けると、岩崎くんはまだ家にいたとのことだった。予定を完全に忘れていたのだそうだ。電話越しに聞こえる岩崎くんの声は寝起きのものだった、というのが清水くんの話だった。しかも、午後から別の予定も入れてしまったので、今から行ってもそんなに長い時間付き合えないかも、とまで言われたらしい。
僕なら怒り狂って電話越しに岩崎くんを怒鳴りつけてしまいそうだが、人の好い清水くんは、そこで声を荒げたりはしなかったそうだ。午後の予定を優先してもらっていい、と伝えて、文化祭には一人で行くことにした、とのことだった。
その日、僕は二人の様子に注意していたのだが、岩崎くんが清水くんに謝りに行った様子はなかった。電話で伝えたからもういいだろう、ということなのか。あるいは、既に仲の良い友だちを見つけている岩崎くんにとって、清水くんとの約束はそんなに大したものでもない、ということだったのか。
清水くんが岩崎くんのことをどう思っていたのかは、わからない。彼は人の悪口を言わない人でもあったからだ。ただ僕が知る限り、それから卒業までの間に清水くんと岩崎くんが親しく話している様子は見なかった。さすがの清水くんでもやはり、思うところがあったのだと思う。
その後、清水くんは無事第一志望の高校に合格した。一人で訪れた文化祭で、「やっぱりこの高校に行きたい」という思いが強くなり、それを励みに受験勉強を頑張れた、とのことだった。

