そこはかとなく「帰省」に憧れていたあの頃

「帰省」と聞くと、何となく「長距離の移動」を思い浮かべてしまう。

でも実際には、帰省に「長距離の移動」という意味は含まれていない。「生まれ育った場所に帰ること、両親のいる場所に帰ること」が帰省なので、実家が同じ県内にある場合でも立派な帰省になるのだ。

それでも何となく「帰省」と「長距離移動」を結びつけてしまうのは、お盆や年末に流される「帰省ラッシュ」のニュースのせいだったりするのだろう。

そんな「帰省」に、僕はほんのりと憧れを抱いていた。小学生のころなどは、夏休みや年末年始を利用して、遠くにある祖父母の家に行っていたというクラスメイトの話をうらやましく思ったものである。

祖父母の家に行くこと自体は、僕にもあった。しかしそれは、長距離の移動を伴うものではなかったのである。

僕の祖父母は父方、母方どちらも東京に住んでいた。そして当時僕が住んでいたのも、「一都三県」のうちの一つだったのである。

祖父母の家には、いつも使っている電車で行くことができてしまった。飛行機はもちろん、新幹線も特急すらも使う必要がなかった。子どもの頃の僕には、それがちょっと物足りなかった。遠くにおじいちゃん、おばあちゃんの家があるクラスメイトの帰省には、旅行成分が含まれている。でも僕の家の帰省は、いつものお出かけの延長でしかなかったのである。

この状況を変えるには、僕の家族、もしくは祖父母のどちらかが遠方に引越すしかない。

しかしその可能性は、限りなくゼロに近かった。父の仕事には県外への転勤がなかったし、年老いた祖父母が住み慣れた土地を離れるとも思えなかったからである。

「長距離の移動を伴う帰省をしてみたいから、東京から離れた地域でできる仕事に転職してくれないか」と父に頼んだところで、相手にはされなかっただろう。祖父母だって、それは同じだ。いや祖父母の場合、そんなわけのわからない理由で「遠くに引っ越してくれ」と孫に言われることになるのだから、これは依頼するだけでも人としてどうなのかとい話になる。

そんなわけで、子どもの頃の僕は「帰省」とは縁がなかった。そしてそれは、中学生になっても、高校に入学した後も、大学生になってからも変わらなかった。僕は大学にも、実家から通っていたのである。

「帰省」のチャンスが僕に訪れたのは、大学を卒業して就職してからだった。僕の入社した会社は、地方にいくつかの支店を持っていたのである。

実家から遠くの支店に配属になれば、僕自身もその近くで一人暮らしをする必要が出てくる。お盆や年末の帰省は、必然的に長距離の移動を含んだものとなるだろう。悪くない。

実際には、「帰省」だけが理由だったわけでもないのだが、ひとまず僕は勤務地希望の用紙に「地方もOK」と書いて提出しておいた。これでいよいよ僕にも、憧れの「帰省」を体験できる日が訪れるのかもしれない。

そんな淡い期待を胸に、僕は初期配属が発表される日を迎えた。その日は新入社員研修の最終日で、会議室に同期が集められていた。

人事担当から辞令を受け取ったときの同期の反応は、実に様々であった。希望していた部署への配属を射止めて終始にやけているものもいれば、的を外してガッカリ落ち込んでいるものもいる。部署名から仕事の名前が想像できずに、しきりと首を傾げているものなんかもいたりする。

漏れ聞こえる同機たち声を聴くに、勤務地の一番人気はやはり東京のようだった。職種が希望通りとはいかなくても、東京勤務であることに胸をなでおろしているものも少なくない。望まぬ職種に回された上に、配属先も地方になってしまった女子はこの世の終わりみたいな顔をしていた。そんな同期の悲嘆を見て、順番待ちをしている何人かが顔を強張らせたりもしていた。

僕は職種に強いこだわりがなかったので、特に緊張はしていなかった。「これだけ東京希望が多いなら地方配属は間違いなかろう」とか、「どうせなら北海道なんかいいな」とかそんなことばかり考えていた。やがて僕にも順番が回ってきて、他の同期と同じように人事の担当者から恭しく辞令を受け取った。勤務地には、「東京」と印刷されていた。

これは後から聞いた噂なのだが、どうやら支店にはコミュニケーション能力高めと判断された同期が配属されていたらしい。支店はどこも平均年齢が高く、古い文化が残っているところも少なくないため、コミュ力高めでないと厳しいのだそうだ。

この話が本当なのだとすると、僕は会社から陰キャ認定されていたことになる。でもまあ研修期間中の言動を振り返ってみるとそんなに間違っていない気がするし、それなら地方の支店に配属されなかったことにも納得がいく。

その後も何度か人事異動はしたのだが、勤務地はずっと東京のままだった。神奈川、千葉、埼玉の周辺3県になることもなく、都内にずっと留め置かれた。異動先の希望を聞かれたときに「地方でもOKです!」と伝えてはいたのだが、まったく考慮されることはなく、そのうち何だか馬鹿馬鹿しくなってきて、それもやめてしまった。

どうやら僕は「帰省」には縁がない人間らしい。

一度、「帰省」の真似事をしたことがある。

地方に自宅のある同僚の中には、長期休暇前最後の出勤日にキャリーバックを転がして出社してくる人がいた。退社したその足で、「帰省」するためだ。その同僚は東京に単身赴任をしていたので、なるべく早く自宅に戻りたかったらしい。

就職してから一人暮らしを始めていた僕も、夏休みや年末年始に実家に帰ってはいた。でも帰省はいつも休みに入ってからで、会社から直接実家に戻ったことはなかった。そこで雰囲気だけでも味わうために、会社から直接の帰省を試みることにしたのである。

普段の帰省では使わないキャリーバッグも、今回ばかりは使うことにしてみた。いつもは不要なだけあって、必要なものを全部入れても中身はスカスカだったが、せっかくならといつもなら持って帰らないようなものも入れておいた。準備を終えてベッドに入った前日の夜は、年甲斐もなくワクワクしていた。いつもは憂鬱なだけ平日の朝が、少しだけ楽しくなりそうな気がしていた。

しかし、現実はそんなに良いものではなかった。

忙しい朝の通勤に、キャリーバッグはとにかく邪魔だったからである。歩くスピードは落ちるし、いつもは階段で上り下りしている場所も、エスカレーターを使わなければいけなくなる。バッグが軽ければ階段で行けるのだが、余計なものを詰め込んだせいで、やたらと重くなってしまったのだ。

何より大変だったのが、混雑している朝の電車にキャリーバッグを持ち込まなければいけないことだった。混雑率150%越えの電車に、キャリーバックを持ち込むのはなかなかの難事だ。職場の最寄駅についてからも、もう一苦労が待っていた。僕の職場は駅から少し離れていて、15分くらい歩かねばならなかったからである。しかも途中が緩やかな上り坂になっているという、おまけつきだった。

もちろんこれらはすべて、事前に予想できていたことではあった。しかし実際にやってみると、思った以上に面倒くさかった。前夜の高揚は、会社に着く頃にはすっかり霧消していて、自分の浅はかな考えに後悔するばかりとなっていた。

会社から直接地方に帰省する同僚は、いつも半休を取って昼に退社していた。移動時間を考えるともっともな話だが、実家の近い僕には必要ないと思っていた。定時までしっかり勤務しても、19時前には実家に戻ることができたからである。

でもこれも、間違いだった。

定時に退社するということは、みんなが帰宅する時間と重なるということでもある。当然電車は混んでおり、朝と同じくまたもやキャリーバッグが邪魔くさい存在となる。しかも今度は実家に帰るので、電車に乗る時間は朝よりも長い。

何より空しいのが、これが別にする必要もない苦労というところだった。普段の帰省では、キャリーバッグを使ってはいないのだ。今回だってその必要はなかったし、バッグが重いのも、半分以上は余計なものが入っているせいなのである。

考えれば考えるほど、馬鹿馬鹿しくなる。

その年以来、僕は帰省にキャリーバッグを使っていない。荷物が多いときもあったのだが、あえて使わなかった。

そしてもう一つ、「帰省」への憧れもあの時以来すっかり薄れてしまっている。僕がやったのは真似事で、実際の「帰省」にはほど遠いものではあったのだが。

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