STAR DRIVER 輝きのタクト ボンズ 2010・2013 |
監督:五十嵐卓哉 |
シリーズ構成:榎戸洋司 キャラクター原案:水屋美沙×水屋洋花 キャラクターデザイン・総作画監督:伊藤嘉之 音楽:神前暁・MONACA キャスト:宮野真守・早見沙織・福山潤・石田彰・戸松遥 |
独特の世界観を持った作品だが、中でも特に強い光を放っているのが、敵対組織である「綺羅星十字団」だ。
何よりもまず、構成員たちの格好がすごい。全員が仮面をつけて正体を隠している、というのもそうだが、コスチュームも奇抜で際どいものが多く、秘密結社のメンバーというより、怪しい仮装パーティーの参加者のように見えてしまう。
それに拍車をかけるのが、彼らが挨拶代わりに決めるポーズだ。親指から中指まで立てた手を目元にかざし、力強く「綺羅星!」と口にするその様子は、傍から見ると滑稽そのもの。ところがやっている本人たちは大真面目だから、そこに妙なおかしみが生まれる。
ただ、この真面目なのかそうでないのかわからないところは、何も綺羅星十字団だけに限った話ではない。
主人公ツナシ・タクトもまた、自らのサイバディ「タウバーン」に乗り込む際、なぜか変身するのだ。
サイバディについては後ほど説明するが、ここでは巨大ロボットと考えてもらえばよい。本作では「アプリボワゼ」という、独特の用語でサイバディとの一体化を言い表しており、主人公であるタクトとタウバーンとのアプリボワゼは第1話から早速登場する。このときのタクトはただサイバディに乗り込むだけではなく、前髪の色が変化し、コスチュームも貴公子然としたものに変化するのだ。
その格好は、綺羅星十字団の面々に負けず劣らず派手だ。しかしそれ以上に度肝を抜かれるのが、変身と同時に口にする「颯爽登場!銀河美少年、タウバーン!」という名乗りである。
「銀河美少年」という単語が、とにかくインパクトが強い。ただ、インパクトだけで意味はよくわからず、「言葉の並びからして銀河で一番の美少年ということだろうか」などと考えてみたりするのだが、それはそれで突拍子もない話に思えてくる。何しろタクトは、自らそれを名乗ってしまっているのだ。
確かにタクトは、容姿の優れたキャラクターとして描かれてはいる。だが、それにしたって世界どころか、銀河で一番を自分で宣言するというのはうぬぼれにもほどがあるだろう。本気で言っているとは、とても思えない。
綺羅星十字団は綺羅星十字団で、目の前でそんな宣言がなされているにもかかわらず「こいつ、銀河美少年か!」などと言うばかりで、言葉そのものへの突っ込みはない。「銀河美少年」というインパクト抜群の造語を、一般用語のように扱っているのだ。ここにもまた、「綺羅星!」ポーズ同様のコミカルさがある。
なお、先にタネを明かしてしまうと、この「銀河美少年」という単語、本作では字面とは違った意味を持っており、自ら宣言することも、一般用語のように扱われることも決して不自然とは言えない。ただ、それがわかるのは話が先に進んでからで、初登場時にそんな説明はもちろんないから、見ている我々は画面の前でやっぱりのけぞってしまうのである。
『STAR DRIVER 輝きのタクト』は「イロモノ」系ではない
「綺羅星十字団」に「銀河美少年」と来るところを見ると『STAR DRIVER 輝きのタクト』は「イロモノ」系なのだろうか?
確かに、部分を切り取ればそのように見えるところもある。
しかし本質的なところでは、まったく違っている。『STAR DRIVER 輝きのタクト』は、決して奇抜さだけを売りにした作品ではない。
それがよくわかるのが、サイバディ同士のバトルシーンだ。
本作の舞台は、「南十字島」という架空の島だ。島の地下には巨大な人型の像「サイバディ」が眠っており、「四方の巫女」と呼ばれる四人の少女がこの像の封印を司っている。「綺羅星十字団」もこの島の組織で、彼らはサイバディの封印を解き、「旅立ちの日」を迎えることを目的としている。
サイバディは「電気柩」と呼ばれる特殊な機械を使って遠隔操縦したり、直接乗り込んだりすることができる一種の巨大ロボットだ。だが、巫女の封印が解かれていない状態では、「ゼロ時間」という特殊な空間の中でしか活動することができない。そのため綺羅星十字団のサイバディと彼らの前に立ちはだかる主人公ツナシ・タクトのタウバーンとの戦いは、この「ゼロ時間」で行われることになる。
サイバディは全部で22体が確認されていて、綺羅星十字団はそのほぼすべてを手に入れている。そのため、基本的にタクトは毎回違う相手と戦うことになる。ロボットアニメの王道スタイルだ。このサイバディのバトルシーンはシリアスで、イロモノの要素はほとんどない。
タウバーンのデザインもよく、妙な言い方になるが「真っ当な」ロボットアニメとして描かれている。
そしてそれは、本作のテーマである「青春」についても、同様のことが言える。
タクト、ワコ、スガタの三角関係も王道

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『STAR DRIVER 輝きのタクト』は、タクトが南十字島にやってくるところから始まる。島の高校、「南十字学園」に入学するためだ。
フェリーに乗り遅れたタクトは、入学式に間に合わせるために本土から泳いで島に渡ろうとする。だが、途中で力尽き、浜に打ち上げられていたところをアゲマキ・ワコとシンドウ・スガタに救助される。
二人はタクトと同じ南十字学園の生徒であり、すぐに意気投合して「仲良し三人組」となる。ワコとスガタは島育ちの幼馴染で、親同士が決めた許嫁でもあるのだが、当の本人たちは、それを決定的なものとは考えていない。だからこそ、後からやってきたタクトが向けるワコへの好意は後ろ暗いものとはならないし、ワコがそれをまんざらでもなく思っていることにも背徳は感じられない。
そして何より、三人は互いの感情を内に秘めたりせず、オープンにしている。
ワコはサイバディの封印を守る「四方の巫女」の一人であり、巫女の掟として島から出ることができない。タクトはそんなワコを開放するために、綺羅星十字団のサイバディすべてを破壊することを決意する。タクトが綺羅星十字団と戦うのは、ワコのためなのだ。
一方スガタも、ワコへの想いは決して負けてはいない。彼もまた、タクト同様サイバディとアプリボワゼできる「スタードライバー」なのだが、スガタのサイバディ「キング・ザメク」は特殊な存在であるため、タクトのように綺羅星十字団と直接戦うことはできない。しかし幼馴染の特権として、体験や認識の共有があり、サイバディにかかわる島の掟についてもよく理解している。
ワコのことをよりよく知っているのは、スガタの方なのだ。
タクト、ワコ、スガタのこの三角関係は、『STAR DRIVER 輝きのタクト』という作品のど真ん中に据えられている。「青春」が本作のテーマ、と書いたが、その基調となっているのは「恋」だ。タクトとスガタの間をふらふらと揺れるワコには二人のどちらからも伸びる恋愛の手がある。しかし同時に、タクト、スガタ、ワコの三人は友情で結ばれてもいるのだ。
こちらもまた、王道の三角関係と言っていいだろう。そしてまた、この部分についても、イロモノの要素は少しも感じない。時折冗談めいたやりとりは混じるものの、タクトとスガタのワコへの想いと、二人の間で揺れるワコの感情が丁寧に描かれている。
表面的な要素に惑わされがちだが、実際には、本作はイロモノとはかけ離れている。むしろ、王道を行っていると言った方が正しいくらいだろう。
本作には、タクト、ワコ、スガタ以外にもいくつかの三角関係が登場するが、そこにもやはりコミカルさはない。どれもシリアスなものであり、またその多くが物語に大きな影響を及ぼすものにもなっている。
「若さ」の賛美
『STAR DRIVER 輝きのタクト』は「青春」をテーマとした物語だ。それがゆえに、若さ賛美の物語にもなっている。
タクト、ワコ、スガタの関係は既に紹介した通りで、恋と友情の間を、どっちつかずのままさまようというものだ。
三人とも、結論は急いでいない。タクトもスガタも、すぐにでもワコを手に入れたいとまでは考えていないし、ワコもまた選択を保留し続けている。彼らに共通しているのは、おそらくはこのままのあいまいな関係をもう少し続けるのも悪くない、という思いだ。
恋には至らない、友情による三人のつながりを心地よく感じているのだ。
それが許されるのは、彼らがまだ若いからだ。三人は、いずれも物語の中で誕生日を迎えるが、それでも十六歳でしかない。何かに結論を求めるにはまだ早いし、時間は十分にある。
その余裕こそが、若さのすばらしさであり、特権でもある。
しかし一方で、今の関係に、いずれ終わりが来ることもタクトたちは知っている。タクトもスガタも、同じような言葉で将来の三人の想像をワコに伝える場面があるのだ。
若さも青春も、永遠ではない。過ぎてしまえば二度と戻ることはなく、そこに拭い去れない哀しさがある。
だが、その哀しさに対しても、タクトはあくまで前向きだ。
「でも僕たちはこれから、これとは違うもっと凄い空をきっとみるさ!」
ここは『STAR DRIVER 輝きのタクト』という作品の良いところだ。同じ空は、二度と見ることはできない、でもこの先に、もっとすごい空が待っている。そんな意味の込められたこのセリフは、未来に希望を抱いていなかれば口にすることができないものだろう。
そんな風に信じられるのも、若さのすばらしさであり、まぶしさだ。タクトはまさに、それを象徴するような存在と言える。
悪役はまったくの真逆
なお『STAR DRIVER 輝きのタクト』には、そうしたタクトとは真逆の人物も登場する。未来に目を向けるタクトたちと違って、失った若さや過去にしがみつき、青春を取り戻そうする存在だ。
物語後半になってその人物は正体を現すのだが、若者たちを利用してまで自らの野望を達成しようとするその姿は醜悪そのもの。
しかし一方で、その存在によって「若さへの賛美」はかえって引き立ってもいた。そういう意味では、本作にふさわしい悪役ではあった。
好感度の高いタクト
本作の主人公ツナシ・タクトは、非常に好感度の高いキャラクターだ。
その存在は、そのまま作品の魅力にもなっている。
「青春」は、言葉そのものにさわやかなイメージを含んでいるが、タクトはそれを凝縮したような存在と言える。彼の最大の魅力は、明るく前向きなその性格にある。常に自然体で、誰に対しても優しいその態度は、さわやかさそのものだ。
容姿もさることながら、性格が「イケメン」なのだ。劇中で「競争率が高い」と言及されているタクトが、彼に好意を抱く女子生徒が少なくないことは、普段のふるまいを見れば納得がいく。これでモテない方が、おかしいくらいだ。
それでいて、タクトは決して女性慣れしているわけではない。ワタナベ・カナコやシナダ・ベニオといった女子生徒からの誘惑に度々動揺する姿を見せるのも、高い好感度につながっている。
ワコをめぐる三角関係がドロドロとした愛憎劇にならずに済んでいるも、彼の性格によるところが大きい。幼馴染の許嫁のところに、島の外からやってきた人間が割り込んできている構図なのだ。
タクトの性格次第で、もっとドロドロとした愛憎劇に発展していてもおかしくはなかっただろう。
『STAR DRIVER 輝きのタクト』の音楽
『STAR DRIVER 輝きのタクト』は、音楽の使い方も印象的だった。
特徴的なのは、ゼロ時間への移行時に巫女の歌が流れるところだ。四方の巫女それぞれに歌があり、どの曲が使われるかはエピソードによって違うのだが、どれも神秘的なアレンジがなされており、日常から戦いの場へと空気が一気に変わるのが感じられる。
同じように音楽によって雰囲気が大きく形作られているのが、ヘッドが気多の巫女(サカナちゃん)からおとぎ話を聞いている場面だ。物語前半に繰り返し登場するこのシーンはいつも同じBGMで始まり、その不穏な音色におとぎ話の内容やヘッドの気だるげな語り口も相まって、幻想的な雰囲気を作り出していた。
前半と後半で変わるOPとEDも、耳に残る曲が多かったように思う。
個人的には
- 前期ED:「Cross Over」(9nine)
- 後期OP:「SHINING☆STAR」(9nine)
- 後期ED:「Pride」(SCANDAL)
がよかった。
タイトル | テレビ STAR DRIVER 輝きのタクト 劇場版 スタードライバー THE MOVIE |
放送・公開 | テレビ 2010年10月3日 -2011年4月3日 劇場版 2013年 |
放送局 | MBS・TBS系列 |
話数 | 全25話 |