『サムライフラメンコ』感想|コントロールされた迷走

評価が分かれる作品だったかな、というのが正直な感想です。

大森貴弘監督作品だけに、『地獄少女』や『夏目友人帳』といった人気シリーズと同じものを期待して見始めた人もいたのではないかと思うのですが、それだと途中から付いていくのが辛くなったかもしれません。

よく言えば「コミカル」、でも実際は思い付きをそのまま形にしたような展開と、突拍子もない方向にどんどん膨らんでいく物語、というところに大きな特徴がある作品でした。

個人的には、嫌いではないです。

でも見ている途中に何度か、戸惑いを覚えたことも事実でした。

というわけで本記事では、2013年から14年にかけてフジテレビ系ノイタミナ枠で放送された、大森貴弘監督作品『サムライフラメンコ』について、感じたことや考えたことを紹介していきます。

本記事は『サムライフラメンコ』のネタバレを含みます。

『サムライフラメンコ』をまだ見たことがないという方は、こちらの紹介記事を先にご覧ください。

文字通りの「チェンジ・ザ・ワールド」

サムライフラメンコ』の評価を難しくしている1番の要因は、何と言っても第7話からの急展開でしょう。

第6話までに展開されていたのは、特撮ヒーローに憧れる羽佐間正義や真野まりたちのコミカルなドタバタ劇でした。

サムライフラメンコやフラメンコガールズが守っているのはごく身近なエリアの平和で、倒すべき悪は街のルール違反や迷惑行為、それほど重大ではない犯罪くらいだったのですね。

さすがに第6話までそういった話が続くと、見ている我々も、

「ああ、この作品は、正義やまりが現実の世界で行うこじんまりとしたヒーロー活動や、それに振り回される後藤の様子を楽しむんだな」

と無意識のうちに考えるようになります。

ところが、第7話でそれが一変します。

「ギロチンゴリラ」という、本物の怪人が出現するのですね。

「『サムライフラメンコ』は現実と同じか、それに近い世界を描いている」

と思っている我々は、架空の存在でしかないはずの怪人の登場にまず驚かされます。

さらにこのギロチンゴリラがいきなり警察官を殺害することで、驚きは一層大きくなります。

それまでサムライフラメンコたちが対決してきた悪に、殺人のような重大犯罪はありませんでしたし、見ている我々も

「人の死」が軽々しく発生するような作品ではないのだろう

と思っているからです。

そうした認識が、第7話のサブタイトル「チェンジ・ザ・ワールド」そのままにすべて覆されてしまいます。

いわゆる「リアリティライン」が動かされるということになるのですが、ここで一度大きく戸惑わされることで、見ている我々は『サムライフラメンコ』という作品にかすかな不安を覚えます。

そしてそれは、この後さらに大きくなっていくのですね。

膨張する物語

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キング・トーチャー編に残っていた手作り感

第7話で本物の怪人と悪の組織が登場して以降の『サムライフラメンコ』を、迷走と感じた人もいたかもしれません。

話がどんどん大きくなって、最後は宇宙規模にまで膨らんでいましたからね。

それでも、「キング・トーチャー編」はまだそこまででもなかったと思います。

キング・トーチャーは「悪の組織に憧れた特撮ヒーローマニア」で、正義とは対になるような存在でした。

戦ったのもサムライフラメンコとフラメンコダイヤたちでしたし、サムライフラメンコが使用していたのも原塚から提供された文房具型の武器だったんですよね。

ここまではまだ、第6話以前の雰囲気を色濃く残していた、と言ってもいいのではないかと思います。

作品序盤で感じたヒーローの「手作り感」みたいなものが、まだありました。

このあたりが薄くなってくるのが、続く「フロム・ビヨンド編」からです。

代わりに目立ってくるのが、「パロディ盛り沢山の正統派特撮ヒーローもの」の傾向でした。

個人ヒーローから戦隊ヒーローへ

「フロム・ビヨンド編」から、ヒーローが個人から戦隊へと変わります。

正義の個人活動でしかなかった「サムライフラメンコ」が、総理の支援を受ける「サムライ戦隊フラメンジャー」に昇格するのですね。

フラメンジャーには、

  • 秘密組織がバックアップ
  • 合体ロボに乗って戦う

という特撮戦隊ヒーローの定番要素が当然のように用意されています。

こうなってしまうと、もはや個人のヒーローマニアができるレベルをはるかに超越しています。

「手作り感」など、微塵も存在しません。

パロディ要素もぐっと随分強くなり、テレビの中だけの存在だと思っていた特撮ヒーローたちが実在していて、フラメンジャーを助けるために大集合したりします。

そしてこの、

「悪の組織」や「怪人」が登場するだけでなく、架空の存在だったはずの「ヒーロー」まで実在していた

という事実が、見ている我々をまた少し不安にさせるのですね。

「一体この作品は、どこまでを現実のラインとして引いているのだろう?」という気分にさせられます。

迷走感を強くする政府の策謀

さらにそうした落ち着かない気持ちに拍車をかけるのが「フロム・ビヨンド編」の終盤から見えてくる政府の策謀です。

フロム・ビヨンドを倒した後、

「『フロム・ビヨンド』事件はフラメンジャーたちヒーローによる自作自演であり、彼らはテロリストであるため逮捕する」

と政府が発表するのですが、フラメンジャーは元々総理が支援していたんですよね。

こうなってくると何が真実なのかわからなくなり、見ている我々には迷走しているように見えてしまいます。

その後のフラメンコ星人の出現で真相は明かされるのですが、取って付けたような印象は拭えません。

「宇宙の意思」の登場

キング・トーチャーの目的は、日本国民の奴隷化でした。

フロム・ビヨンドは、日本侵略

どちらもターゲットは日本ですが、サムライフラメンコだけで対処可能だったキング・トーチャーと違い、フロム・ビヨンドは日本各地を同時攻撃できるほどの巨大な組織を備えています。

さらにフロム・ビヨンドに続くフラメンコ星人ともなると、狙いは地球侵略にまで拡大。

人類を一気に進化させて自分たちの同胞にする

という「人類補完計画」みたいな壮大な目的を持った相手が、サムライフラメンコの敵となります。

第6話までに正義が行っていた「街のおまわりさん」レベルの「正義の味方活動」と比較すると、月とすっぽんです。

この話の膨張具合もまた、本作の何とも不安定な印象の一因と言えるでしょう。

そしてまた、この「フラメンコ星人編」の最後には「宇宙の意思」なる存在まで登場してしまうのですね。

「宇宙の意思」は、ここまで正義が体験してきた現実離れした出来事について、

すべては正義自身が望んだことであり、それが現実を作り出したのだ

というようなことを伝えます。

何だかもっともらしいことを言っているようにも見えますが、要は「夢オチ」です。

ここまでの出来事はすべて正義の妄想でした、と言っているのと同じですからね。

この後の澤田灰司との対決のために、

リアリティラインを現実に近いところまで戻している

ということはわかるのですが、ここまで散々振り回されてきた挙句のこのオチなので、「やっぱり迷走している」と思われても仕方がなかったのかもしれません。

『サムライフラメンコ』は迷走していたのか?

ここまで書いてきたように、迷走しているように見える部分があるのは確かです。

ただ、実際には迷走していたわけではない、という気がするんですよね。

そんな風に見えるのも、実はすべて織り込み済みだったのではないかと思っています。

迷走していたにしては、各編の話がまとまり過ぎているように感じました。

コントロールされた迷走、とでも言えば良いのかもしれません。

どんなときにも忘れないコミカルさ

サムライフラメンコ』は、とにかくコミカルな作品でもありました。

どんなにシリアスな場面でも、どこかにおかしみを残していたと思います。

すぐに思い付くのは、こんなところでしょうか。

  • 要丈治に丸め込まれる正義
  • 武器が文房具ベース
  • 肝心なときにいつも不在の要
  • すぐに日常化する怪人との戦い
  • 初登場のフラメンジャーが全員レッド
  • フロム・ビヨンドのやたらと多い怪人
  • 総理の強化スーツのパワーの源が支持率

このコミカルな部分は、それだけで『サムライフラメンコ』という作品の魅力になっていましたし、また作品の緩衝材のような役割も果たしていました。

サムライフラメンコ』が迷走しているように見えることは既に書きましたが、そうしたネガティブな部分をこのどこか力の抜けたところがやわらげていたようにも感じるんですよね。

「シリアスな話に笑いを挟むことで、聞いている人を飽きさせない」というテクニックがありますが、『サムライフラメンコ』におけるコミカルさも、まさにそれだったのではないかという印象を受けました。

世界に残った最後の敵

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わかりやすいメッセージ

フラメンコ星人を倒し、キング・トーチャー出現から続いた一連の「特撮番組が現実になってしまった状態」が終了した後に登場する最後の敵が、中学生の澤田灰司です。

直前まで人類を守るための戦いをしていたサムライフラメンコ(正義)の最後の敵が、地元の中学生というのも随分な落差ですが、ある意味でこれも本作らしいと言えるのかもしれません。

この灰司編については、それ以前のエキセントリックとも言えそうな展開と比較すると、そこに込められたメッセージは非常にわかりやすかったと思います。

灰司のような存在と向き合い、その問題を解決するのは、ヒーローではなく現実を生きる大人たちなのだ

ということですね。

正義が灰司に対してサムライフラメンコではなく羽佐間正義という一人の人間として向き合ったところにも、それは表れていたと思います。

後藤の抱える問題とその扱い

メッセージがシンプルだった一方で、しっくりこなかったのが後藤英徳の扱いです。

後藤は正義やまりと違い、妄想を現実で再現し暴走するようなところのない常識人として描かれてきたわけですが、実は彼も異常さを抱えていた人間だったということが終盤で明らかになります。

「結局、主要登場人物は全員それぞれに普通ではないところがあった」というわけですね。

それ自体は特に問題ではないと思うのですが、気になったのは、この「後藤の異常性」があまり効果的な使われ方をしていたように見えなかい点でした。

身近な存在の抱える闇に気付けなかった、という点で、正義に衝撃を与えはします。

また、灰司のたくらみに、利用もされます。

でも、こう言っては何ですがそれだけなんですよね。

作品冒頭から登場している主要登場人物で、なおかつ正義の兄貴分的な存在でもある後藤が抱えている問題なのに、扱いとしては「物語の道具」以上のものとは思えませんでした。

キング・トーチャーに打ちのめされるまりにも共通しているのですが、正義以外の登場人物に与えた問題にもう少し必然性が欲しかったようにも思います。

  • 何故まりはキング・トーチャーに打ちのめされなければならなかったのか
  • 何故彼女の消失という運命が後藤に与えられたのか

という部分がぼんやりしているので、「物語の道具」や「物語の都合」のように見えてしまっているように感じました。

『サムライフラメンコ』感想:まとめ

本記事では、2013年~14年にフジテレビ系ノイタミナ枠で放送されたアニメ『サムライフラメンコ』の感想を紹介しました。

冒頭でも書きましたが、なかなか癖がある作品なので、見る人によって評価は分かれると思います。

「迷走している」と見られてしまいがちですが、「目的地を見失って迷走している」ということではなかったように思いました。

「迷走している」のではなく、「迷走しているように見せていた」と言ってもいいかもしれません。

正義以外の主要登場人物にもう一つ掴みきれないところはあったものの、全体的にはそんなに嫌いな作品ではなかったです。

今回は、以上です。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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この記事を書いた人

アニメとサッカーを見るのが好き。
累計視聴数は400本を超えていて、今も増え続けています。

作品を見て、感じたこと、考えたことを書いています。