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『おそ松くん』について、改めてあれこれ説明する必要はないのかもしれません。赤塚不二夫先生の代表作の一つで、「超」が付くほどの有名タイトルですからね。知らないという人の方が少ないんじゃないかと思います。
『おそ松くん』の連載が始まったのは1962年(昭和37年)。誕生は、今から60年も昔です。『ドラえもん』の連載開始が1969年(昭和44年)ですから、それより7年も早い。
1946年(昭和21年)の『サザエさん』には及びませんが、『ちびまる子ちゃん』(1986年)や『クレヨンしんちゃん』(1990年)よりもずっと古く、漫画・アニメ界では長老と言っていい存在です。
ちなみに同じ赤塚先生の『天才バカボン』は1967年(昭和42年)が初出ですから、『バカボン』よりも古いのが『おそ松くん』になります。
そんな『おそ松くん』のリメイクが、『おそ松さん』です。原作そのままの「くん」ではなく「さん」になっているのは、主人公の六つ子が成人しているからなんですね。『おそ松くん』では、おそ松、カラ松、チョロ松、一松、十四松、トド松の6人は小学生でした。
もちろん、六つ子だけが年を取っているわけではありません。他のキャラクターも、同じだけ年齢を重ねています。すなわち、作品世界全体が原作より時間の進んだ時代となっているのですね。そういう意味では、リメイクというよりオリジナルの続編と呼んだ方が正しいのかもしれません。
『おそ松くん』時代に小学生だった六つ子たちが順調に(?)成長し、成人した姿を描くのが『おそ松さん』ということになります。
設定からも想像がつくとは思いますが、『おそ松さん』は、原作にないエピソードが中心となります。ですが、すべてがそうかというとそういうわけではなく、
- 1期第15話「チビ太の花のいのち」
- 2期第16話「となりのかわい子ちゃん」
- 2期第18話「イヤミはひとり風の中」
などは、原作を元にした話となっています。
『おそ松さん』以前のアニメ化作品
これだけ知名度の高い作品なので当然と言っていいと思いますが、『おそ松くん』のアニメ化作品は『おそ松さん』が初めてではありません。
過去に二度、アニメ化されています。
- 第1作:1966~67年
- 第2作:1988~89年
最初のアニメ化は、1966年。日本最初のテレビアニメ『鉄腕アトム』の放送開始が1963年ですから、『おそ松くん』のアニメ第1作は、アニメ草創期の作品と言っていいでしょう。私もリアルタイムで見たことはないのですが、残っている映像を見ると、まだカラーではなくモノクロです。
この第1作『おそ松くん』は『おそ松さん』でも再現されていて、2期第1話「ふっかつ おそ松さん」では子ども時代の六つ子がモノクロの映像で登場します。
もっとも、二つの作品の間には半世紀もの開きがありますから(『おそ松さん』2期は2016年放送)、音や映像のクオリティに隠し切れない差を感じますけどね。
アニメ第2期は21年後
『おそ松くん』のアニメ第2作が始まったのは、第1作終了から21年が経過した1988年2月です。
1989年の年末まで、約2年で86話が放送されました。1989年1月に昭和が終わり、平成に元号が変わっていますから、『おそ松くん』アニメ第2作は昭和と平成をまたいで放送されていたことになります。
このアニメ第2作は、私も子どもの頃、テレビで放送されていたのを見た記憶があります。
ただ、残念ながら内容はほとんど覚えていません。
覚えているのは、
『おそ松くん』というタイトルなのに、イヤミとチビ太が主人公のように感じられたこと
と、
- 「うちの父ちゃんはサラリーマン~」で始まるオープニングテーマ
- 「おそ松の ズボンをカラ松がはいて~」で始まるエンディングテーマ
が妙に印象的だったことくらいです。
特にオープニング(OP)テーマとエンディング(ED)テーマはずっと頭に残っていて、放送から30年以上が過ぎた今でも時々浮かんできます。
OPテーマは歌詞も秀逸
改めてこの2曲について調べてみたのですが、曲名はそれぞれ、
- OP:「正調 おそ松節」
- ED:「おそ松音頭」
で、どちらも細川たかしさんが歌っているのですね。
「正調 おそ松節」の方は作詞も秋元康さんで、以下のようにサラリーマンの哀愁を強く感じさせるものになっています。
うちの父ちゃんは サラリーマン
満員電車が 我が人生
足も踏まれりゃ 頭も下げて 愛想笑いの50年
終点間際のマイホーム 空気はうまいが 街へは遠い
父ちゃんはな… 父ちゃんはな… 父ちゃんなんだぞ!
うちの父ちゃんは日本一
残ったローンも日本一
「正調 おそ松節」より
昭和末期から平成初期にかけての日本のサラリーマンをコミカルに描いた歌詞ですが、これって30年以上が経過した現在でも、そんなに変わっていないんじゃないかという気がしますね…
だからこそ、今でも耳に残っているのかもしれませんが。
『おそ松くん』と『おそ松さん』
『おそ松さん』第1期の放送が始まったのは、2015年10月です。アニメ第2作の放送終了が1989年12月ですから、大よそ26年ぶりの再々アニメ化、ということになります。
第1作と第2作の間にも21年のブランクがありましたが、『くん』と『さん』はそれ以上です。時間を置いて、何度かアニメ化される作品はありますが、二度の再アニメ化の間が、二度とも20年以上開いているというケースは、あまり聞きません。
ただし『おそ松さん』は、原作をそのままアニメ化したものではありません。既にご紹介した通り、『おそ松くん』の続編に当たるオリジナル作品です。
そうなると気になってくるのは、原作や過去のアニメ化作品との違いです。どの程度アレンジされていて、どこまで「『おそ松くん』らしさ」を残せているか。
この関心の向き方は、何も『おそ松さん』に限った話ではありません。原作のある作品全般に言えることです。ただ、当然ながら、これには原作についてある程度の知識が必要となります。
原作を知らないのに、原作との比較なんてできるわけないですからね。
実は『おそ松くん』をよく知らない
では、『おそ松さん』の場合はどうなのか。
ここで初めて気が付いたのが、そもそも私は『おそ松くん』をよく知らない、ということです。
主人公が六つ子だということは、もちろん知っています。イヤミやチビ太、デカパンやダヨーンといったサブキャラクターも知っていますし、「イヤミは出っ歯で『おフランス』が口癖、『シェー』が持ちギャグ」とか、「チビ太はおでんが好き」というくらいの知識はあります。
でも、それが限界です。知名度の高い作品なので何となく知った気になっていたのですが、よくよく考えてみると私は、「らしさ」を語れるほどには『おそ松くん』を知らないのです。
アニメ第2作は見ていますし、アニメに合わせて連載されていた原作も読んだ記憶はあるにはあります。ですが、いずれも四半世紀以上前の話。しかも、子どもの頃ですからね。うっすらとした印象しか残っていません。
そんな状態ですから、『おそ松くん』と『おそ松さん』の比較なんてできるわけがありません。
不思議なことに、『おそ松さん』を見ていて、「ここは『おそ松くん』っぽいな」とか、「これは『おそ松くん』とは違うんじゃないかな」と感じることはありました。
でもそれはきっと本来の『おそ松くん』ではなく、私の中で勝手に作り上げていた『おそ松くん』のイメージとの比較だったのだろうと思います。
知った気になっていたけど、実はよくわかっていなかった。そういう作品、他にもあるような気がします。『おそ松さん』を見ていて、改めてそのことに気が付きました。
完全に女性向け、というわけでもない
『おそ松さん』について書かれたものを読んだとき、必ず取り上げられているのが、第1期放送時(2015~16年)に特に熱狂的だった女性ファンからの人気です。
下ネタもだいぶ多い作品なので、女性に好まれたというのは少々不思議な感じがします。ただ、六つ子全員に主役級の人気男性声優を当てていたり、「F6」なる、もはや原型を留めていない六つ子の「イケメン化」が仕込まれていることなどを考えると、作る側もある程度それを狙ってはいたのかもしれません。
しかし一方で、『おそ松さん』が完全に女性向けの作品なのか、というと、そういうわけでもなかったと思います。男の私が見ても十分楽しめましたし、むしろ男性の方が共感できるんじゃないか、思うようなエピソードも多くありました。
「童貞あるある」なんかは、まさにそうですね。少々ステレオタイプのきらいはあるものの、女性を過剰に意識してしまったり、ありもしない妄想を膨らませてしまったりするのは、女性との接点が少ない男性にありがちな傾向です。
六つ子同士のやり取りも楽しい
また、個人的に好きだったのは、六つ子がグダグダと話をするだけのエピソードです。1期14話「トド松のライン」などがそれに該当して、ほとんど会話だけで構成されている話なのですが、練られたセリフとテンポの良いやり取りが魅力的です。3期までに、何度か似たような話がありました。
そうしたエピソードで私が好感を持ったのは、「場の雰囲気」です。
仲の良い友人たちと、ダラダラと無駄話をする。生産性はゼロなんですけど、楽しい時間です。そういう場での雰囲気が、よく出ていたように思うんですよね。
六つ子は友人同士ではないので、厳密な意味での違いはあります。けれど、彼らがグダグダと話をしている場面には、過去に私自身にも経験がある似たような状況を思い出させてくれました。
会話の内容が少し理屈っぽいところなんかは、若くて、あまり陽気ではないタイプの男性が集まったときに起こりがち、という気もします。だからこそ、こうしたエピソードは男性の方がより共感できるんじゃないかな、とも思いました。
「ニートで童貞」はおもしろい
『おそ松さん』を語る上で欠かせないのが、「ニートで童貞」という要素です。
六つ子は全員、ニートで童貞。末っ子のトド松は童貞っぽくないですし、そういう指摘が作品の中でもあったように思いますが、他の兄弟同様やっぱり童貞です。
「ニートで童貞」は、あまり褒められたものではない。それが一般的な感覚であり、六つ子たちにもその自覚はあって(長男のおそ松だけは怪しいですが)、そのため劇場版第1作『えいがのおそ松さん』では、同窓会の場面でおそ松以外の六つ子たちはその事実を隠そうとします。
「ニートで童貞」は恥ずかしい。でも一方で、「ニートで童貞」はおもしろい存在でもあるんですよね。
笑いにできる、と言った方が正しいかもしれません。「ニートで童貞」のおもしろさは、おそらく共感にあるのだと思います。「自分もそうだな」とか「そうだったな」という感覚が、おもしろさにつながっているんですね。
ニートと童貞、どちらがわかりやすいかと言えば、これは間違いなく後者の方です。どんな男性も、最初はみんな童貞ですからね。『おそ松さん』で描かれる童貞エピソードにうなづけるところがあるんじゃないかと思います。
一方ニートは、必ずしも全員に経験があるわけではありません。ただ、その心理にはニートでない人にも通じる部分があったように思います。
ニートじゃないのに、ニートに共感
第3期25話「ひま」で六つ子たちがつぶやき合う、
- 「何かがしたい。でも何もしたくない」
- 「変化が欲しい」「でも何も変わってほしくない」
- 「どこかに行きたい」「でもどこにも行きたくない」
という相反する感情なんかはまさに、ニートでない人にも通じる、ニート心理なのではないかと思います。
ニートでない人の心にも、ニートが潜んでいる。そして、ニートじゃない人たちの心には、ニート的なものへの憧れがある。
ちょっと飛躍し過ぎているかもしれませんが、個人的には、この「潜在的なニートへの憧れ」が『おそ松さん』で描かれる六つ子への共感につながってるんじゃないかという気がしました。
六つ子をつなげる大事な要素
「ニートで童貞」はおもしろさの他にもう一つ、『おそ松さん』における大事な要素があったと思います。
それは、「六つ子を結びつける共通項となっていた」いうところです。
『おそ松さん』では、六つ子の個性が『おそ松くん』よりもはっきりと描かれています。それぞれにイメージカラーなんかも用意されていて、一人一人がしっかりと見極めの付く、独立した存在となっているのですね。
ただ、あまりそれぞれの個性が強調されてしまうと、六つ子としての一体感が失われてしまいそうにも思えます。
しかし実際には、『おそ松さん』にそうした印象はない。むしろ六つ子の一体感みたいなものを強く感じられることの方が多いように感じました。
その大きな要因となっていたのが全員に共通する「ニートで童貞」という要素だったように思います。
「ニートで童貞」。どうにも緩く、情けない響きしかない言葉です。でも『おそ松さん』に限っていえば、それが作品をまとめていたようにも感じられました。
おそ松さん
放送 | 第1期:2015年 第2期:2017年 第3期:2020年 劇場版第1作:2019年 |
話数 | 第1期:全25話+3.5話+SP1話 第2期:全25話 第3期:全25話 |
制作 | Studioぴえろ |
監督 | 藤田陽一 |
シリーズ構成 | 松原秀 |
キャスト | 櫻井孝宏 中村悠一 神谷浩史 福山潤 小野大輔 入野自由 |