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『花咲くいろは』は、P.A.WORKSの「お仕事シリーズ」第一弾に当たる作品です。
- 『花咲くいろは』(2011年)
- 『SHIROBAKO』(2014年)
- 『サクラクエスト』(2017年)
- 『白い砂のアクアトープ』(2021年)
第三弾の『サクラクエスト』を先に見ていたのですが、個人的に好きな内容だったので、「お仕事シリーズ」にも興味が湧きました。
それで第一弾から見てみようと思ったのですが、全26話に加えて劇場版も見て感じたのは、『サクラクエスト』とはやや印象の違う作品だということです。
『サクラクエスト』と比較すると、仕事以外の要素も多く含まれているように感じました。このあたりは、主人公が女子高校生で、仕事へのかかわり方もほぼアルバイトだから、ということも関係していたのかもしれません。


「置かれた場所で咲きなさい」に肯定的
『花咲くいろは』を見て感じたことの一つが、「置かれた場所で咲きなさい」という考え方を肯定的にとらえている点です。
主人公松前緒花の変化に、わかりやすくそれは現れていました。
作品の冒頭で緒花は、母・皐月の夜逃げをきっかけに住んでいた東京を離れ、祖母であり、皐月の母でもある四十万スイの元に身を寄せることになります。
皐月はスイと折り合いが悪く、実の祖母でありながら、緒花は物語開始以前にスイと顔を合わせたことがありません。
スイは「喜翆荘」という旅館を経営していて、緒花はそこに住まわせてもらうことになります。しかしながらタダで、というわけにはいかず、仲居として「喜翆荘」で働くことがその条件となっていたのでした。
仲居の仕事は元々強いられたもの
ここで一つ異様さを感じるのは、それまで面識がなかったとはいえ、自分を頼ってきた実の孫をアルバイト従業員同じように扱おうとするスイの態度です。娘の皐月とは折り合いが悪かったかもしれませんが、孫の緒花には関係ないですよね。
スイは仕事第一の厳しい人間として、描かれています。ですから、緒花に対する態度も「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の心理などではないのかもしれません。
それでも、高校生の孫に「仕事をしないなら追い出す」と宣言することは尋常とは思えません。
当然ながら、「仲居をするためにここに来たわけではない」と緒花は反発します。でも、追い出されたら他に行くところはないですから、スイの意向に従う他なく、住み込みの仲居として「喜翆荘」で働くことになります。
すなわち、緒花にとって仲居の仕事は、元々は祖母・スイに強いられた、仕方なくやっているものに過ぎなかったわけです。
緒花の姿勢は「置かれた場所で咲きなさい」
ところが、時間の経過とともにこの緒花の意識は変化していきます。仲居としての仕事を続けるうちに、いつの間にか誇りとやりがいを感じるようになっていくのですね。
緒花自身は、この変化に無自覚です。また、第14話で同級生の和倉結名から「仲居になりたいのかな?」と聞かれて返答に困っていることからもわかるように、仲居や旅館業を将来の目標にするという意識が芽生えているわけでもありません。
仲居の仕事に対する緒花の姿勢から感じられるのは、
- 与えられた状況の中で力を尽くす
- 目の前のことに全力で取り組む
というものです。
これは「置かれた場所で咲きなさい」そのものなんですよね。
たとえ自分が望んだものでなかったとしても、また将来の夢や目標につながるものでないとしても、与えられた仕事で全力を尽くせば、必ず得られるものがある。
主人公松前緒花の変化と、それを好意的に描く作品の背後には、そうした考え方の肯定があるように感じました。
「嫌なことからは逃げていい」
緒花の変化以外に、第15話の結名のモノローグ(「やりたいことも、楽しいことも、見つけられるかは私次第」)などにも「置かれた場所で咲きなさい」の肯定が感じられる『花咲くいろは』。
ただ、この考え方自体は本作に特有というわけでもなく、もっと以前から存在している、伝統的と言ってもいいものでもあります。
私自身、この考え方に決して否定的ではありません。確かに、仕事にはそうした側面もあるでしょう。
しかし一方で、これを受け容れがたいと感じる人もいるのではないかと思います。
特に、近年存在感を増している「嫌なことからは逃げていい」という考え方とは、相容れないようにも感じるんですよね。
緒花はブラック企業の社員?
旅館で働くことの過酷さは、第14話で喜翆荘のライバル旅館「福屋」の一人娘でもある結名の口から語られています。
その過酷な仕事を「他に行くところがないから」という理由で強いられている緒花は、いわゆるブラック企業で働いている従業員と同じ、と言えなくもありません。
緒花が仲居の仕事にやりがいを見出していく姿に、ブラック企業に飼い慣らされていく社員の姿を重ねる人もいるでしょう。
(実際には、緒花は高校には通わせてもらっているので、ブラック企業の社員ほど生活を仕事に支配されているわけではありませんが)
『花咲くいろは』が放送された2011年当時は、「嫌なことからは逃げていい」という考え方は今ほど肯定的ではなかったかもしれません。
しかし現代では、その部分に少し抵抗や違和感を覚える人もいるかもしれない、とは思いました。
「保護者としての親」の不在
『花咲くいろは』を見ていてもう一つ気になったことが、「保護者としての親」の不在です。
『花咲くいろは』に登場する主な「親子関係」は、次の三つです。
- 緒花と皐月
- 皐月、四十万縁とスイ
- 押水菜子と両親
このうち皐月が緒花に対して、保護者としての役割を十分果たしていないことは明白です。
冒頭から、緒花を放り出して恋人と夜逃げするくらいですからね。緒花の幼い頃の回想でも、皐月が仕事優先で親としての役割を果たしていない場面が何度も登場します。
スイが、皐月とその弟・縁に対して保護者としての役割を果たしていなかったかどうかは、描写が少ないためはっきりしません。
ただ、スイにとって一番大事なのは「喜翆荘」の経営であり、それが若い頃の皐月の反発を招いたことは事実ですから、やはり十分な役割を果たせてはいなかったことは何となく想像できますよね。
菜子の両親は、出番がほとんどありません。皐月やスイと比較すると、「ない」と言ってもいいくらいです。ただ、その少ない登場シーンの中でも、保護者として不十分であることが明らかになってしまっていました。
娘であり、母でもある皐月
「親子関係」にクローズアップして『花咲くいろは』を見たとき、最も気になる存在が皐月です。
皐月はスイにとって娘であり、緒花にとっては母親です。すなわち、娘と母親、両方の側面を持っているのですね。
皐月とスイの関係は、お世辞にも良好とは言えません。皐月は仕事最優先の母・スイに反発して、若い頃に家を飛び出しています。以後、二人は絶縁状態。実の孫でありながら、緒花が祖母の顔を知らなかった理由もここにあります。
緒花に甘えている皐月
ただ、では母親となった皐月はどうなのかというと、やっていることは実はスイとあまり変わりないんですよね。
仕事優先で、娘はほったらかし。スイの場合、皐月や縁を放置していた、とまでは描かれていないですから、皐月の方がひどいくらいです。
緒花は皐月に腹を立てているようですが、皐月がスイにしていたような反抗的な態度にまでは出ていません。これについては緒花と皐月の性格の違いだったり、緒花がまだ幼さを残していたりするところも関係しているのだろうと思います。
しかし、裏を返すとそれは、
「皐月が自分のわがままを許容してくれている緒花に、甘えているだけ」
というようにも感じられました。
異常なのは皐月だけではない
絶縁状態だったスイとの関係に改善の兆しが見えるようになったのも、緒花が「喜翆荘」で働いていたことがきっかけです。
これ自体は喜ばしいことに思えるのですが、母の身勝手に娘が巻き込まれた結果であることを思うと、釈然としないものが残ることもまた事実です。
皐月の異常さが際立ち、緒花が不憫に思えて仕方がないところですが、そうなると今度はスイが、相対的にまともに見えてきます。
スイがまともで皐月がそうではないから、二人の関係は険悪なものになった。一瞬、そう考えてしまいそうにもなるのですが、これも少し違うように感じました。
スイはスイで、普通ではないところがあります。
自分を頼ってきた実の孫を経営する旅館の従業員扱いした上に、「おばあちゃん」とは呼ばせず「女将さん」と呼ばせるところに、それは顕著に表れていると言っていいでしょう。
仕事のときだけ、とかならまだ理解できるのですがそうではなく、緒花は終始スイのことを「女将さん」と呼び続けていました。
これは緒花以外の従業員に対しても同様で、板前見習いで緒花の同級生でもある鶴来民子に、手を上げる場面もありました。
理不尽な暴力、というのではなく、きちんとした理由はあったのですが、それでも経営者が従業員に手を上げてはいけないですよね。これではブラック企業そのものです。
「仕事に厳しい人」と言えば聞こえはいいですが、度が過ぎたきらいがあったように思います。
このスイの「厳しさ」を見ると、皐月の反発もあながち彼女の若さや性格だけが原因ではない気がしてくるんですよね。
縁を信用しきれなかったスイ
親子関係というと、スイと皐月の他に、スイと縁もあります。
ただ、縁に対するスイの態度は、
経営者としては正解、親としては不正解
だったと感じました。
スイは、結局最後まで縁を信用していなかったように思いました。だからこそ、「喜翆荘」の将来について、縁に相談せずに決めたのだと思います。
もちろん、原因はそれまで結果を残してこれなかった縁にあるんですけどね。
ただ、最終的な決定は自分でするにせよ、事前に相談くらいはしてもいいのではないか、とは思いました。
経営者としては、手腕に疑問のある縁に相談しなかったことは正解でしょう。ただ、親という点からみると、子どもを信じていなかったというのは、合格とは言えないのではないかと感じました。
もっとも、縁はもう30を過ぎてますし、保護が必要な子どもという年齢ではなかったですけどね。
押水菜子と両親
菜子の両親とスイや皐月との共通点は、仕事熱心であるところです。
押水家は、共働きです。仕事はどちらも教育関係で、家に帰っても互いに教育論をぶつけ合うくらい熱心です。
その分おろそかになっているのが、家事や幼い子どもたち(菜子の弟、妹)の面倒を見ること。そこを補うのが、押水家では菜子の役割になっているのですね。
家事も子守りも、本来なら保護者である両親が担うべき仕事です。それをまだ高校生である菜子に押し付けているのですから、押水家の両親もまた、保護者としての役割を十分には果たせているとは言えないでしょう。
劇場版では、それがより顕著に描かれていました。仕事を優先し、菜子の妹・麻奈の遠足への付き添いを回避しようとしていた母親を、菜子は電話口で強く責めます。
「仕事なんてどうでもいいじゃない!」という菜子の怒りは、強く印象に残りました。
この痛烈なひと言は、仕事を理由に保護者としての役割を果たしていない、本作の親すべてに向けられたものだったのかもしれません。
「若さ」に対する寛容な態度
『花咲くいろは』ですごく良いと感じたのは、ここですね。
特に、将来の夢や希望がまだ定まっていない、不確かな状態の10代に向ける視線はとても好感の持てるものでした。
「お仕事シリーズ」の第一弾に位置づけられているとはいえ、緒花をはじめとする『花咲くいろは』の主要登場人物たちは、まだ高校生です。「喜翆荘」での仕事も、アルバイトでしかありません。
緒花や菜子は、仲居や旅館経営者を目指しているわけですら、ないのですね。明確な将来の夢や目標を持っているのは板前見習いとして働いている民子だけです。
民子は緒花同様「喜翆荘」に住み込みで働いているのですが、それは強いられてものではなく、自らの意思で、両親の反対を押し切って、そうしています。その行動が示す通り、決意は固いですし、志も高い。
しかし、では民子が規範的な存在で、緒花や菜子がそれに劣るのかというと、決してそんな描き方はされていないのですね。
縁や輪島巴たちと民子のことを話していたときにスイが口にした、印象的なセリフがあります。
「自分の進む道をすぐに見つけられる子もいれば、もっと高いところ登って、初めて道が見えてくる子だっているさ。回り道をしてもいい。間違った道で迷ってもいいんだよ。それがあの子たちの特権なんだからね」
「若さ」や「未熟さ」に対して寛容な、優しさにあふれた言葉ですよね。そしてまた、このセリフに『花咲くいろは』という作品の本質が詰まっているようにも思いました。
花咲くいろは
放送 | 2011年 劇場版:2013年 |
話数 | 全26話 |
制作 | P.A.WORKS |
監督 | 安藤真裕 |
シリーズ構成 | 岡田麿里 |
キャスト | 伊藤かな恵 小見川千明 豊崎愛生 戸松遥 能登麻美子 |