今回は、『ガンダム Gのレコンギスタ』(2014年 サンライズ)を取り上げます。
『ガンダム Gのレコンギスタ』は「ガンダムの生みの親」である富野由悠季が、『∀ガンダム』以来15年ぶりに手掛けた長編ガンダム作品です。
「元祖」が作ったガンダム、というわけですね。これだけで、ガンダム好きには十分な視聴動機になると思います。
キャラクターデザインが『交響詩篇エウレカセブン』と同じなので、見る前はどうしても『エウレカ』の影がちらついていましたが、それもすぐになくなりました。
内容は、しっかりガンダムです。
「富野節」も全開で、あの独特の台詞回しが癖になっている私にとっては大好物の作品でした。
欲を言うなら、もう少し長くてもよかったと思います。
ガンダムの長編作品は4クール50話前後のものが多いのですが、『Gのレコンギスタ』は2クール26話で終わってしまうんですよね。
初めから全26話で企画されていたようなので仕方がないのですが、もう少し長くこの物語の世界と登場人物たちの活躍を見ていたい、と思わせてくれる作品ではありました。
まだ見ていない方、特に『∀ガンダム』が好きな方にはおすすめです。
『ガンダム Gのレコンギスタ』概要
ガンダム Gのレコンギスタ
放送 | 2014年 |
話数 | 全26話 |
制作 | サンライズ |
原作 | 矢立肇、富野由悠季 |
総監督 | 富野由悠季 |
脚本 | 富野由悠季 |
キャスト | 石井マーク 嶋村侑 寿美菜子 佐藤拓也 |
描かれているのは「宇宙世紀の後」
「ガンダムの生みの親」が総監督・脚本を手掛けている『ガンダム Gのレコンギスタ』ですが、描かれている時代はガンダムではなじみ深い宇宙世紀(U.C.)ではありません。
宇宙世紀が遠い昔に終わりを迎えた世界で、リギルド・センチュリー(R.C.)という暦が使われている時代
が舞台となっています。
宇宙世紀終焉後の世界という意味では、長編前作にあたる『∀ガンダム』も同じでした。ただ、『∀』で使われている「正暦」だったので、『∀』ともまた、時代が大きく異なっていることがわかります。
『∀』で顕著にみられた傾向はテクノロジーの退化で、地球の技術は19世紀と同程度になってしまっていました。
『Gのレコンギスタ』にも似たようなところはあって、かつての技術の多くが失われてしまっています。しかしながら『∀』ほど退化はしていないようで、過去の設計図を元に自分たちでモビルスーツや宇宙戦艦を作り出すことはできていました。
宇宙での活動も当たり前のように行われていて、地球と宇宙を結ぶ軌道エレベーターが存在しています。
主役機に襲撃を受けるところから始まる
この軌道エレベーター、物語の中では「キャピタル・タワー」と呼ばれており、この時代の重要なエネルギー源である「フォトン・バッテリー」を宇宙から地球に運ぶという役割を担っています。
『Gのレコンギスタ』の主人公ベルリ・ゼナムは、このキャピタル・タワーを守るための組織、「キャピタル・ガード」の候補生でした。
初めての実習の際、所属不明のモビルスーツ「G-セルフ」(本作の主役モビルスーツです)の襲撃を受けたところから物語は動き出します。
G-セルフを操縦していたのはアイーダという少女で、自らを宇宙海賊の一員であると説明しました。
そのアイーダに、何かを感じるベルリ。さらには操縦者が限定されるはずのG-セルフを、なぜかベルリは起動させることができてしまいます。
『ガンダム Gのレコンギスタ』レビュー

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『ガンダム Gのレコンギスタ』は、まぎれもなく「富野ガンダム」でした。
しかし過去作とまったく同じだったかというとそうではなく、違いが感じられる部分もありました。
「らしさ」が感じられた部分
富野節
まずは、「富野節」ですね。
冒頭でも紹介しましたが、これは本作でも顕在でした。富野節が癖になっている私としては、非常に満足です。富野節がない富野ガンダムなんて、物足りなすぎますからね。
モビルスーツのコクピットでひとり言を言いまくっているシーンなんかは特に好きなのですが、『Gのレコンギスタ』でもベルリやアイーダたちが喋りまくってくれていました。
状況に流される主人公
「主人公が状況に流される」というところにも、「らしさ」は現れていました。
『機動戦士ガンダム』(ファーストガンダム)のときからそうですが、「富野ガンダム」の主人公は基本的に正規の軍人やパイロットではありません。
大抵が民間人であり、
- たまたま居合わせた場所で戦いに巻き込まれる
- 成り行きでガンダムのパイロットとなる
- 明確な動機や目的もなく、ガンダムを所有している組織に所属することになる
というのが定番になります。
この点、『Gのレコンギスタ』の主人公ベルリ・ゼナムは、モビルスーツも扱うキャピタル・ガードの候補生だったので、完全な民間人だった過去作の主人公たちとは異なる、と言えるかもしれません。
ですが、「状況に流される」というところは同じでした。
何しろ、ガンダム(G-セルフ)のパイロットになってからは、主にキャピタル・ガードとは違う勢力の一員となって戦っていましたからね。
それも自らの理想や信念に基づいてではなく、「気が付いたらそうなっていた」という状態でした。
説明の少なさ
説明の少なさも、「らしさ」だったと思います。
主人公ベルリたちが置かれている状況や背景、あるいは新しく登場した人物の立場などについて、説明のためのセリフやシーンがほとんど用意されていないのですね。
そのため、見ている側は登場人物たちの会話や発生している事態から状況を読み取る必要があります。
読解力が求められる物語、と言ってもいいかもしれません。
ここで重要なのは、「何が起こっているのかまったくわからない」ということではないというところです。注意深く見ていれば理解はできます。
言い換えるなら、「わかるように作られている」のです。
そのため、説明セリフや説明シーンが最小限に抑えられていることを、「制作サイドの怠慢」などと批判するのは当たらないと思います。
違いの感じられた部分
※一部、ネタバレを含みます。
パイロットが限定されるG-セルフ
ロボットアニメに登場する主役機には、
- 主人公しか動かせないもの
- 主人公以外も動かせるもの
の2つがあって、「ガンダム」は後者の象徴的な存在でもありました。
「ガンダム」は数多ある兵器の一つでしかなく、誰にでも操縦はできる。選ばれた人間にしか扱うことのできない、特殊な武器(兵器)というわけではないのですね。
実際、ガンダムもΖガンダムも、劇中で主人公のアムロ・レイやカミーユ・ビダン以外が操縦したこともありました。前作の『∀ガンダム』もそうですね。主人公ロラン・セアック以外が操縦しています。
ところが『ガンダム Gのレコンギスタ』の主役機G-セルフは、そうした先達とは違っていました。
G-セルフを起動できるのは、主人公ベルリを含めて3人しかいないからです。
起動ができないということは操縦もできないということです。すなわち、
G-セルフはパイロットが限定される機体
になってしまっているのですね。
既に書いたように「(うまく扱えるかどうかは別として)操縦だけなら誰にでもできる」というのが、これまでの「ガンダム」でしたから、この点は『Gのレコンギスタ』における違いの一つとなっていました。
それによって、G-セルフという機体の特殊性がよりはっきりしていたように思います。
ベルリの出自
主人公ベルリが実は名門家系の生まれであった、というのも「ガンダム」では珍しいパターンだったのではないかと思います。
「富野ガンダム」でのこのパターンは、他にない気がしますね。親がガンダムの開発者だった、という例はいくつかあるものの、血筋とは別ですからね。
「ファーストガンダム」のシャア・アズナブルや『機動戦士Vガンダム』のクロノクル・アシャーのように、「高貴な生まれ」はむしろライバルの方にあったような印象があります。
ところが『Gのレコンギスタ』では、ライバルであるマスクの方が「クンタラ」という下層階級の生まれとして設定されています。
これまでとは、逆ですね。
さらにこのマスクは自分がクンタラであることに強いコンプレックスを抱いていて、たびたびそのことを口にします。ベルリが上流階級出身であることが判明した後は、さらにそれが強く出ていました。
このあたりのこだわりの強さは、過去のライバルたちと似ていたかもしれません。『機動戦士Ζガンダム』のジェリド・メサを思わせるしつこさがありました。
人間のサガ
『Gのレコンギスタ』では、次のような人間の「サガ」についても描かれていました。
- 地球から離れることができない
- 争いをやめられない
これらは、「らしさ」に当たる部分と言ってもいいかもしれません。過去の「ガンダム」でも、取り上げられていました。
地球から離れることができない
他の「ガンダム」同様『Gのレコンギスタ』にも、地球で暮らす人々と、宇宙で暮らす人々が存在しています。
宇宙で暮らす人々は、地球では既に失われてしまっている高いテクノロジーを持っています。
この点は『∀ガンダム』も同じで、どうやら宇宙世紀終焉後の世界では、かつてのテクノロジー(の一部?)は宇宙に保管しているようなのですね。
ただ、それがあるからと言って宇宙で暮らす人々が自分たちの生活に満足しているかというと、必ずしもそうではありません。
人々は地球を忘れられず、やがて地球に戻るための行動を起こしてしまいます。
そしてこれも『∀ガンダム』と共通するのですが、この行動こそが物語の本当のきっかけになっています。宇宙に暮らす人々が地球に戻ろうとしたことが、そもそもの始まりというわけですね。
この地球に対する思慕にも似た感情は宇宙世紀時代を描いた作品にも見られ、『機動戦士Ζガンダム』では地球から離れられない人たちを、「重力に魂を引かれた人たち」という表現で呼んでいました。
宇宙に生活圏を築くことができるようになっても、人間は地球から離れることができない。
他の「ガンダム」同様『Gのレコンギスタ』でも、このことが人間のサガの一つとして描かれていました。
争いをやめられない
『Gのレコンギスタ』で描かれているのは、戦争と破壊に明け暮れた宇宙世紀が終わった後の世界です。
地球のテクノロジーが退化しているのも、かつてのテクノロジー(の一部?)が宇宙だけに保持されているのも、すべては宇宙世紀時代の反省を生かしてのことです。
ただ、この時代でもやはり争いは起こってしまうのですね。
それも、宇宙世紀終焉から長い時間が経過しているせいか、かつての技術を復活させてまで戦争を始めてしまいます。
どんなに時代を経ても、過去に大きな失敗があっても、人間は争うことをやめられない。
そんな愚かな人間のサガが、『Gのレコンギスタ』では描かれています。
そしてこれは、本作同様、宇宙世紀後の世界が舞台となっている前作『∀ガンダム』にも共通していました。
科学技術への批判
『Gのレコンギスタ』には、「行き過ぎた科学技術に対する批判」という要素を持っています。
テクノロジーの発展が必ずしも人類に幸福をもたらすわけではない、ということですね。
他の「富野ガンダム」で似たような傾向があったのは『∀ガンダム』だけなので、「宇宙世紀終焉後のガンダム」に共通する視点と言ってもいいのかもしれません。
『Gのレコンギスタ』では「ムタチオン」という現象を使って、科学の発展がもたらした人間の不幸をよりはっきりとした形で描かれていました。
『ガンダム Gのレコンギスタ』まとめ
富野ガンダムとしては『∀』以来、15年ぶりの長編作品となって『ガンダム Gのレコンギスタ』ですが、富野由悠季総監督の作風が非常によく表れた作品だったと思います。
富野節も顕在で、懐かしさみたいなものも感じました。
テーマやメッセージは、前作『∀ガンダム』と共通するものが多かったように思います。宇宙世紀を描いた作品とはだいぶ傾向は違いますが、これはこれで個人的には好きですね。
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本記事の情報は、2022年7月23日時点のものです。最新の情報は公式サイトをご確認ください。